【夜の明度差】

【夜の明度差】

静岡県清水。
JR清水駅前ロータリーの街路樹。
クリスマスから年末年始にかけて設置されたらしい清水橋橋脚や清水駅前の電飾が 13 日の夜もきらきらと瞬いていた。

駅前から飲食店をちらちらと覗きながら帰宅したけれど、週末のせいか混んでいる店が多くてびっくりする。
昨年後半当たりから清水帰省のたびにずっとそう思っていたけれど 外での飲食に人々がお金を使うようになって来たのだろうか。

撮影日: 07.1.13 7:34:40 PM

大手チェーン店は若者でいっぱいで、昔ながらの店は中高年の客がまばらで空いている……と思いこんだりするけれど、意外にも閑古鳥が鳴きそうに寂れた場末にある古くて暗い穴場のような良店が老若男女で押すな押すなの満員なのに驚かされる。

週末になると満員御礼の店と逆に、平日だけコンスタントに客があって週末空いている店もあるし、給料日直後は閑古鳥が鳴き、客の財布が軽くなるにつれて客が戻ってくる店もあるので、週末の様子を見ただけでは繁盛の明度差はわからない。
店にもハレの店とケの店があるから。 

だが大局的には客の目(舌もしくは情報)が肥えてきて、店の繁盛度合いの程度差がくっきりしてきたようにも思える。
それを「格差」と呼ぶかどうかは各人の価値観の違いによる……ということは「社会」の捉え方とも当然似ている。

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▼027……LEDの夜


文京区本駒込2丁目、文京グリーンコートにて。

昔、電機メーカーのデザイナーとしてサラリーマンをしていたとき、
メーカー各社が集まって作る電子工業会のデザイン部会に出席し、
電気器具に使う発光ダイオード(LED)の色もまた
視覚伝達の記号なので、それぞれの色が指し示す意味も
できるだけ統一した方が良いのではないかと言ったら
「コスト優先なので赤いLEDしか使わせて貰えないんです」
という発言があって一同苦笑したのを思い出す。



最近はLEDが安くなったのか大量に樹木に巻き付けられて
夜になると点滅を繰り返している。
それらのLEDに青や白の色が多く使われていて
凍えるような北風の吹く日は視覚的に寒くて仕方ない。

青や白も安くなったということなのだろうか。
最近買ったハードディスクのアクセスランプも
みんな青や白で赤や緑を見なくなった。

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▼026……禁止


豊島区駒込6丁目。

最初のひと文字に「犬」とあるので
犬の放尿を禁ずる警告なのだけれど、犬が
「可愛いお人形に向けて放尿するのは忍びない…」
と考えるとは思えないので
片足を上げて放尿体勢に入った雄犬のリードを
咄嗟に引いて思いとどまらせるために
飼い主の慈悲心を喚起する思いつきなのだろう。



こういう表現は「遠回しな言い方」とか「婉曲表現」とは違うわけで、
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」
という教えに沿ったものような気がする。

「大」をしとめるにはまず「小」をしとめるのが効果的だとの故人の知恵であり
「犬を射んと欲すれば先ず飼い主を射よ」ということであり
この場合の「大」は犬であり、人間は「小」ということになる。

酔っぱらった人間が「小」の用を足すのを抑止する効果もありそうな気がし、
「小を射んと欲すれば先ず視覚を射よ」ということであり
昔、壁や柱に「小便するな」の文字を添えて
神社の鳥居の絵が描かれていたのと同じ事のような気もする。

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▼025……日だまり


JR山手線駒込駅。

声というのは不思議なもので、耳で聞く実際の音がなくても
目で聞こえるという事があるように思う…と昨日書いた。

同様に温度というものも不思議で、
実際身体に触れて体感しているわけではないのに、
視覚的情報によって暖かさや冷たさを感じることもあり、
精密に検査してみれば視覚的刺激によって
人間の体温が微妙に変化することはあり得ると思う。



先日NHKテレビで南極のコウテイペンギンの雄が
卵を暖めながら身体を寄せ合って越冬する姿を見たので
真冬にペンギンなどを見ると背筋がぞくっとする。

ペンギンは寒さを促進する視覚情報なのだけれど
その下にホームに続く階段から
這い入ってきた陽光が日だまりを作っていると
暖かさがかえって際だつという
対比を具現化した視覚的温度体感の良い例になっている。

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▼024……声


東京都北区田端3丁目。

声というのは不思議なもので、耳で聞く実際の音がなくても
目で聞こえるという事があるように思う。
音楽のデジタルサンプリングみたいに、
いろいろな人の“声の素”が脳内に記録されていて
犬の声を用いて鍵盤楽器で音楽を演奏するみたいに
人はいろいろな人に脳の中で勝手な台詞を喋らせることができる。



こうやって書いている文字だって
頭の中ではたくさんの人にとっかえひっかえ
その人の声色で朗読させることができる。
人は誰でもそうなのではないだろうか。

商店街のラーメン屋店頭に置かれているこの人形を見ると
音がないのに歌声が聞こえてくるようで、
通るたびに立ち止まって聴き惚れてしまう。

上手に作られた人形を見るたびに、
勝手に適当な歌手の声で“脳が歌わされてしまう”のであり、
不思議なものだと毎度毎度感心する。

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【大晦日の駒豆】

【大晦日の駒豆】

東京都北区の田端銀座商店街。

2006 年 12 月 31 日、買い物に行ったら静岡県清水駒越産の『駒豆』(こまめちゃん)が売られていた。
一目見て「あっ清水!」と気づいただけで胸がズキンとする。

「静岡産」というポップ文字の後ろに「!」が付いているのも嬉しいけど出来合いにも見えるので、実は「群馬産!」も用意されている。



「わ~っ!枝豆だ!」
とか
「すごい!清水の枝豆がもう出てる!」
と大声で言ってみたけれど、結局買って貰えなかった。

主婦というのは「 498 円」という文字だけを見ているのかもしれない。

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【箱根駅伝と函嶺洞門と桜橋】

【箱根駅伝と函嶺洞門と桜橋】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 1 月 2 日の日記再掲

 

正月恒例の箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)往路、たすきを掛けた選手が小田原中継所をスタートして早川沿いの国道 1 号線をひた走る映像で、いよいよ山登りの勾配が始まる直前、崖崩れによる落石よけのために設けられた片側に開口部のあるトンネルを選手がくぐり、そのトンネルの名を函嶺洞門(かんれいどうもん)という。

どう‐もん【洞門】
(1)ほらあなの入口。また、そこに設けた門戸。
(2)向うまで貫通するほらあな。(広辞苑第五版より)

早川沿いに設けられたトンネルの入り口である洞門は実用一点張りではなく、妙にはしゃいだ遊び心のある意匠(王宮をイメージして作られたらしい)が施されており、クレーンカメラ(?)を用いた美しい中継映像を見る度に毎年見入ってしまう。

今年の箱根駅伝、往路中継を見ていたら、この函嶺洞門も老朽化が激しく、狭さ故に交通のボトルネックにもなっているので、現在迂回する形でバイパスが造られており、完成後はそちらが用いられて洞門の存続は未定だという。

■静岡県清水。桜橋と県道197号線。木の根元に列車見物用にも見える突き出したテラス状の部分がある。
RICOH GR Digital + GW-1

当時はめずらしかったという鉄筋コンクリートを用いた洞門が完成したのは昭和 6 年だと聞いたとたん「おやっ?」と思い、昨年末の郷里静岡県清水帰省時に撮影した実家近くにある桜橋跨線橋の写真を見たら、完成したのは土木遺産に指定されている函嶺洞門と同じ昭和 6 年だった。

■静岡県清水淡島町。傷みが激しい桜橋跨線橋のテラス(?)。
RICOH GR Digital + GW-1

静岡県清水、国道1号線大曲交差点五叉路から分かれて南南東へ延びる県道 197 号入江富士見線が東海道本線と静岡鉄道をまたぐ跨線橋「桜橋」も、当時としてはひどくハイカラな建造物だったのでないかと思う。

橋のたもとに木が植えられた無駄なスペースともいえるテラス状突き出しのある不思議な意匠の桜橋。

当時珍しかったという鉄筋コンクリート工法で造られた橋は、テラスに立って鉄路を行き交う汽車を展望するのもまた晴れがましく思えた時代ならではの意匠だったのかもしれないと思ったりする。

■静岡県清水入江岡町。桜橋跨線橋の高みに登る古そうな石段。
RICOH GR Digital + GW-1

往時のことをよく知る方に聞けばもっと意外な由来がありそうにも思える桜橋。そのテラス状部分の痛みが激しくて、きちっと修復すればよいのにと前回帰省時も痛ましく眺めたが、老朽化故に存続が未定という函嶺洞門を見て郷里の桜橋を不意に思い出したりするのは、二つの建造物が共有する時代体験の質もまた似通っているからかもしれない。

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【初日の出】

【初日の出】
 

鶴舞町の鶴さんが
久能海岸で撮影した初日の出の写真を
メールに添付して送ってくれました。
鶴さんありがとう。
新年あけましておめでとう!



「海岸で日の出を待つ人」



「初日の出です」

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