【見上げる喜び】

【見上げる喜び】

職人がつくる足場を見るのが好きだ。人間自体もそうだけれど、人間同士の意思疎通もまた基準となる足場を決めないと構築できない。

 
熟練した職人になると第三者の目に触れる美しさまで考慮して作業する人間国宝的な人がいないとも限らない。けれど、たいがいは実用のことだけを考えて組んでいったら、結果的に第三者の目に美しく見えてしまうといった期せずして生み出される美なのだろう。実用は結果として美をはらんでいる。


清水・三保造船の足場


東京・秋葉原の足場

郷里静岡県清水、三保造船のクレーンに組まれた美しい足場も、東京秋葉原の足場もそうだけれど、高いところに小さな職人たちが写っていて、彼らはひたすら作業に集中して自分たちのいのちを支える足場を組み立てているのである。こんな奇妙な形状の場所によく足場を組めるものだと感心するけれど、足場用のバイブ、その一本いっぽんの置き方にちゃんと論理があり、その職人の知恵には必然的に美がはらまれ、見上げる通りすがりの人を感動させるのである。

もう人生にたいしたものは望まないけれど、こういうものを見上げて美しいと感じる人と一緒に歩きたいな、とは思う。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 5 月 20 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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