【母と歩けば犬に当たる……65】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……65】
 

65|祈るしかない

 郷里静岡県清水でひとり暮らしを再開する母親のケアマネジャー(★1)を決め、支援してもらうための打ち合わせをし、県立静岡がんセンターへの受診手続きも終えた。終えた途端
「もうここまでやってもらえば、あとはお母さんがひとりで出来る。仕事も忙しいだろうからもう帰ってこなくてもいいよ」
などと言ったりする母である。
 それが本気の思いやりなら、帰京する朝は元気そうに息子が用意した朝食を食べ、安心させて送り出すくらいの気づかいがあってもいいのに、
「食欲がないから食べられない」
などと、むかし貸本屋に積まれていた少女漫画にあった薄幸の美少女が、そのまま年寄りになったような甲高い裏声でかすれるように言ったりする。      
 そこで顔を曇らせて、
「困ったね、朝ご飯をちゃんと食べないと死んじゃうよ」
などと言ったりするとどんどん母のペースに巻き込まれてしまうので、
「ああそう、とにかく用意するから箸だけでもつけてね」
と言って、昨夜のカニ汁の残りでカニ雑炊をつくり、頂き物の佃煮などを小皿に盛り合わせて母の前に並べる。ある程度見守りつつ放っておくことも必要だとアドバイスされたことを思い出す。
 「眠れない」と「食べられない」はよく似ている。どちらも放っておいたところで、人は死なない程度に眠ったり食べたりするものだと、最近は思うことにしている。そうしないとこちらの精神状態のほうが危うい。
 テレビを見ているふりをしてちらっと横目で見ると、残さず平らげて
「カニ雑炊はおいしいね」
などと言ったりする。ご飯を用意した息子に悪いと思って、無理に頑張っておいしいなどとお世辞を言ったにせよ、だったら息子の労をねぎらって、東京へ帰る朝だけでも、最初からそうしてくれればいいのに、と思ったりする。
 「食欲が無くてご飯を作る気になれなかったら、週4日夕食の宅配サービスを市から受けることが出来て1食250円です」
とケアマネジャーに言われ、
「いえ、自分で作れるように頑張りますから」
と答え、
「最後の味付けだけ自分ですれば良いところまでの調理支援をヘルパーさんに頼めますよ」
と重ねて心配されると、
「まだ、自分で出来ますから大丈夫です」
などと強がってみせる母である。
 そのくせ東京から電話を入れると、他人に対する明朗快活な態度とは別人のような、例の薄幸の美少女がそのまま年寄りになったような甲高い裏声で
「食欲がないから食べられない」
などととかすれるような声で言うのである。
「辛いから息子さんに甘えたいんですよ」
と言ってくれる人もいてその辛さもよくわかるけれど、だとしてもそれは胃がきりきりと痛み精神が錯乱しそうに陰湿な、いじめに似た甘えのように思えて耐えがたい。
 というわけで
「食べなきゃ駄目!」
と言うのはもう止めた。
 5日ごとに帰省するのだし、ケアマネジャーやヘルパーさんが健康状態のチェックもしてくれることになっているのである。心配をすべて神棚に棚上げし、自分のペースで自分の食べ方をし、その上で長生きしてくれることを、図々しく神様に祈ることにしたのだ。

(2004年9月12日の日記に加筆訂正)

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★1 ケアマネジャー
「要介護者等からの相談に応じ、要介護者等がその心身の状況等に応じ適切なサービスを利用できるよう市区町村、サービス事業者等との連絡調整等を行う者であって、要介護者等が自立した日常生活を営むのに必要な援助に関する専門的知識・技術を有するものとして介護支援専門員証の交付を受けたもの」(介護保険法第七条第五項関係)

【写真】 実家前で懐かしい人(写真中央)との再会を喜ぶ母。なんと同じケアマネジャーさん(写真左)が担当していたことで生きての再会を果たした。

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