【母と歩けば犬に当たる……114】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……114】
 

114|麦わら帽子の夏


 軒下に張られた麻紐を伝って朝顔の蔓が伸び、家々の軒端に笹飾りが揺れる頃、小学校では1学期終わりの終業式が近づく。母は棚の上から飾り布のついた麦わら帽子を取り出して埃を払い、僕にかぶせて、
「よし、今年もまだかぶれる」
と頭をポンとたたく。
 夏休みは母子家庭の母にとっても待ち遠しいものであり、子どもの世話から解放されるたびに、母は息子を郷里静岡県清水の親戚に預けることにしていた。息子はその麦わら帽子をかぶらされ、母とふたり東京駅から東海道本線の準急列車に乗って帰省した。
 夏休みが終わりに近づき、再び清水まで迎えに来た母は、
「おいしい物を食べよう」
と言い、当時清水銀座庵原屋(★1)の二階にあったレストランに連れていってくれた。
 食事を終えて清水駅に着いたら庵原屋のテーブルの下に麦わら帽子を忘れたことに気づき、
「大きくなったから麦わら帽子はもういいね」
と母に言われて上り列車に乗った夏があり、それが東京・清水を往復する最後の夏休みになった。息子の小学校卒業を待って、母は東京暮らしに終止符を打ち、清水に戻ったのである。
 東京谷中の朝顔市が始まった。朝顔の鉢を抱え、手みやげにして帰省したら清水の町が七夕祭りだったことがあり、朝顔が咲いて湿った風にそよぐと、夏が近づいたことを実感する。

 いよいよ母の具合が思わしくない。今日一日でやりかけた仕事に一区切り付け、手間取りそうな新たな仕事には断りの電話を入れ、お詫びをして引き継いでもらい、いつまでと期限のない夏休みをとって、七夕祭りの清水にむけ明日の朝帰省する。

(2005年7月7日の日記に加筆訂正)

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★1 庵原屋
旧東海道江尻宿である清水銀座商店街で明治27年創業の肉屋。清水ではとびきりハイカラな店だった。

【写真】 清水の町は七夕祭り。架け替え工事中の清水橋にも七夕飾りが施されていた。

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