電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼台風一過とかすべ
台風18号が列島を縦断して北海道方面に抜けて行き、風は強いものの青空が広がったので午後3時過ぎに買い物を兼ねて散歩に出た。
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台風通過後の駒込駅前。
巣鴨地蔵通り商店街に行くと年寄りが喜びそうなものが何かしらあるので有難い。幼い頃北海道で過ごした義母が喜びそうなものがないかと探したら、かすべ(エイ)の煮付けがあったので手みやげに買った。年寄りというのは最近のことは忘れても幼い頃のことは良く覚えていて感心する。
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台風通過後の巣鴨駅前。
母が営んでいた飲み屋では干物のエイヒレをあぶってつまみで出していたが、生のままのを煮たかすべの煮付けはごく最近になって食べた。子ども時代によく食べたなら確かに呆けが深まりゆく老人になっても忘れないだろうと思うくらいにおいしいものだ。
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台風通過後の地蔵通り商店街。
台風が接近しているということで休業している店が多くて商店街は閑散としていた。まばらに歩いている年寄りが風に煽られてふらついているのを眺めながら、病院のトイレで大呆けショーを演じて疲れているであろう義母の元へ、かすべの煮付けを持って帰る。
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前に脚本家のかめおかゆみこさんの公演の差し入れに、あじのひらきをさしあげたら「北海道にはアジのひらきがなかったのよ」とおっしゃっておりました。お兄さんが上京したときに、あまりのおいしさに近所の魚屋で大量に買い込んだそうです。
大昔、「山海塾」の手伝いで宇都宮の大谷にこもっていたころは、スーパーにサメの切り身や、鯉の切り身が売られていて驚いたものでした。
中学時代、豊年の岸壁で投げ釣りをしている人が大きなエイを釣り上げて持ち帰ってましたから煮付けて食べていたのかもしれません。カスベとは違う種類のエイでしたが。
このところ東京に北関東・東北の食文化が浸透してきている気がして、この夏は「駒豆ちゃん」を見かけず、市場は東北の茶豆が占領したように感じました。
そしてどこの魚屋でも普通にサメの切り身を見かけるようになりました。東大の学食でもサメの切り身の煮たのが出てましたから、東京では「サメの煮付け」を「えっ!?」という文化じゃなくなったのかもしれません。
青森や岩手に行ったら鮨屋でサメの身や心臓を握りで出すのにも驚きました。
食べ物の話しをしていたら清水のイルカの煮付けが食べたくなりました。
家人が横で「山海塾」と聞いて驚いてました。
鯉や鮒はよく売っていましたが
サメは見かけませんでした。
逆に普通の魚が採れなくなってきているのではないのでしょうか。
いるかの煮付けは子供のころから定番料理ですよね。
>家人が横で「山海塾」と聞いて驚いてました。
うーん、大駱駝鑑も手伝いましたけど。
ちょっと年下で秋田出身の編集者と話していて
「岸に打ち上げられてもう助かりそうにないイルカを見ると『可愛そうに、食べてあげればいいのに』と思う」
と言ったら
「私もふと、そう思います」
と言うのが意外で、尋ねたら秋田の内陸にある彼の育った村には行商の魚屋がイルカを持ってきたので、子どものころはよく食べていたのだそうです。
「小さい鯨のことですから日本中で食べてたはずです」
と笑っていました。ブルーノ・タウトも東北へ旅したときの日記でイルカ食について書いていました。
サメは中国地方山間部でも食べるようです。あちらでは「ワニを食べる」と言いますが。
大駱駝鑑もびっくりです。
演劇と言えば劇団麦の会の「鼠さん」はまだこのBlogを見てるのかな。