【有度そぞろある記】

【有度そぞろある記】

有渡郡の語源について『ふるさと有度』にはこう書かれている。

 まず、有渡郡に関して平安時代以来の書がどのような記述をしてきたか列挙しておこう。
「延喜式」に「烏渡郡云々」とある。 「和名抄」に「有度郡」 とみえる。
「拾芥抄」に「有度郡」 とみえ「雄渡郡」とも書いたという。
「総国風土記」に「烏渡郡」とあり、その説明に「鳥渡郡」は「浦六、名山五、河六流、 川二流、 沢九、池三、宮祠一五、個座・寺院七宇、墳陵五個基、東は藍染川を限り、西は狐ヶ崎を限り、南は有度浜を限り、北は正木山を限る」と説明されている。さらに「早田苅麦、長短冬樹修竹、海塩、魚塩、茯苓、柴胡、灌香、香蕾、川萼、土茯苓、山桅子、牡蠣、常山、葛根、樗雞、蛮茄、麴毛等」の産物があり、 「惣て抜群の利、挙国の用、此国に有るのみ」と豊かな有渡郡であるように説明している。
 「駿国雑誌」は以上の史料をとりあげながら次のような説明をしている。すなわち、有度の名はもとは有度山の名に由来する。往昔、推古天皇(第三十三代)の頃、秦川勝(はたのかわかつ)の二男尊長の弟の久能という者が、観音菩薩の霊夢をみたために有度山に住んだ。そのため秦川勝の姓によって都麻佐山(ウズマサ)といったり、あるいは名によって久能ともいった。秦(ウズマサ)を略して宇津といい津と渡とは相通ずるので、有度となったというが、確証はない。「童蒙抄」には、駿河国の有度浜に神女(メガミ)天下りて舞をしたとある。その有渡浜とは、有渡郡の東南の海浜で、久能浦より三穂呉服神社の前までをいう、と里人は語った。また、有度を有渡(ウナド)と唱えた者もあったという。
 壬生従二位・家隆(一二〇〇年代)は
「宇度浜に天の羽衣、春はきて、今も霞の袖やふるらん」
と和歌をよんでおり〝うど〟と羽衣伝説にふれている。

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以下、2024 年 5 月 15 日、眼の記憶より。

何の店で何が「おしまい」なのかわからないけれど、ゆったりしてよい風情の店。


こざっぱりしたサンドイッチの店。


コーヒー豆のドンゴロス(麻袋)を再利用した土嚢。珈琲焙煎店が近くにあるのだろうか。

「うどようちえん」のかわいい送迎バス。

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