【豆アジ】

【豆アジ】

桜の季節が終わると豆がおいしくなると向田邦子が書いていたけれど、豆がおいしい季節になると豆アジがおいしくなる、とつけ加えたい。

わが母は昔から小さなアジの唐揚げが好きで、たんねんに二度揚げしてそのまま食べたり、南蛮漬けにしたりしていたけれど、ちいさなアジのことはみな「こあじ」と呼んでいた。都内の魚屋に小さなアジが並び始め「豆アジ」の名で売られていることが多い。

豆打と書いて「ずんだ」と読み、それは「じんだ」とも言い、茹でた枝豆や莢豆(さやまめ)を潰したもののことである。おそらくここから来ているようで、豆アジのことを古くはズンダアジ、ジンダアジ(ジンタアジ)と呼んだ。これは郷里清水でヒイラギのことをギンダベラと呼び、静岡県内の他地域ではジンダベラと呼ぶのと同根だろう。

市場関係者の情報で調べてみると体長 7cm までを豆アジ、10cm までを小アジと呼ぶ、などと書かれているけれどさほど厳密ではないのかもしれなくて、自分はどちらかといえば小さなアジを呼ぶ時は豆アジの名が好きだし、若々しい緑を連想しながらあえてズンダアジと呼ぶこともある。

あれほど豆アジの唐揚げが好きだった母が、ガンと診断されて以来、揚げ物を一切受けつけなくなり、食べたいと言わなくなった。総入れ歯で燕下力の衰えた義父は丸ごと揚げた魚など大嫌いだし、妻は小学校入学当初、小アジの唐揚げが給食に出て丸ごと食べろと強要され、女子児童のほとんどが食べられなくて泣いた、という悲惨な思い出がトラウマになっているという。というわけで豆アジの唐揚げが食べたいなどと言うのは義母と自分の二人きりになってしまった。

子どもの頃から魚屋の店頭で仕事を見るのが好きだった。よい魚屋はいつも何かを動かしているものだ。客がいなくてもいつも威勢の良い掛け声で口を動かしている魚屋はよい魚屋だと思ったし、口を動かすより包丁を握って常に手を動かしている魚屋はもっとよい魚屋だと思った。

郷里清水、次郎長通りの魚初商店でも小アジや小鯛、コハダの酢漬けなどが自家製されていて大好きなのだけれど、手間のかかる仕事に頭が下がる。

そうだ、伊豆に行って宿泊したりすると朝食に思わず笑顔になるような豆アジの干物が付くことがあったけれど、あれならわが家の老親たちとトラウマ妻も食べられるのではないかとインターネットで検索し、取り寄せてみたいと思う店を見つけたけれど、1 枚 40 円であり 1 人 4 枚食べさせるにしたって 20 枚で 800 円なので、とてもそれだけを冷蔵宅配便を使ってまでして取り寄せようと思えない。

豆アジの干物なども相当にまめな働き者の魚屋でないとつくれないだろうとは思ってはいたけれど、そのページに添えられていた言葉が、なんかやけくそ気味で可笑しくも切ない。
 
「手間はかかるが値段は安い!」

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 5 月 24 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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