電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【『エコー』と『すみや』と『あかほり』と『はまや』】
【『エコー』と『すみや』と『あかほり』と『はまや』】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 11 月 5 日の日記再掲)
清水の友人が送ってきた『すみや』のレコード袋
主に中学から高校時代の静岡県清水市、そして大学時代の東京で買いためたレコードが段ボールに数箱あるので、パソコンにレコードプレイヤーをつなぎ、仕事の合間に取り込んでデジタル化している。
最近はほとんどの楽曲が CD 化されて売られているけれどわざわざ買うこともないという気がするのと、古いレコードがたてる微妙なノイズが懐かしくて好きなので、最近は埃をわざと払わずに録音したりしている。そうすることで世界でひとつだけのオリジナルになり、パチパチという雑音の中に過去の思い出がはぜる。
そういう古いレコードの中にひときわ雑音のひどいレコードがあり、それらは清水港を出港した漁船員がマグロ漁の長い遠洋航海のあいだ船内で聴いていたものであり、航海を終えて上陸し、母親が営んでいた飲み屋を訪れるとき手土産にくれたものだ。外洋を航海してきたレコードということになる。
再び出港が近づくと漁船員たちは清水市内で買い物をし、『トラヤ』で山ほど買い込んだ衣類を担いで船に運び込んだりしており、市内に何軒かあったレコード店ではシングルレコードをひとかかえも買っていく姿を見かけたものだった。そういうこともまた清水の景気を支えた時期があった。
我が家にある『あかほり』シングル盤の袋
この袋の裏面には清水にやってきた歌手三島敏夫(顔が三島由紀夫に酷似)のサインを貰っている。
僕は主に清水駅前銀座の『あかほり』でレコードを買い、『あかほり』にないときは斜め向かいの『はまや』で買っていた。
友人たちは清水銀座の『すみや』を利用していた者が多く、どうして『あかほり』だったかというとおやじさんの人柄が好きだったのと、レコードを買うついでに奥にある憧れのオーディオ機器を眺めるのが楽しみだったからだ。
友人のひとりは『はまや』がご贔屓だったそうでフォークギターも『はまや』で買ったといい、『はまや』の店内でギターが売られていた記憶がないので聞いたら、ギターは天井から吊るして売られていたのだという。
友人が送ってくれた清水銀座『エコー』のレコード袋
人の記憶というのは不思議なもので、別の友人が『エコー』という名のレコード店の袋を持っていて写真に撮って送ってくれたのだけれど、その店の名前に記憶がない。住所が銀座四丁目ということは戸田書店の並びなのだけれど、本当にそんなところにレコード店があったのか、あったとしても僕が高校を卒業して清水を離れた後ではないかと『はまや』でギターを買った友人に聞いたら、戸田書店並びにかつてあった『つり好』という釣り具店のとなりあたりにあり、僕が清水にいた時代にもあったはずだという。
友人が送ってくれた清水銀座『エコー』のレコード袋
記憶というものは曖昧でもあり『すみや』があった場所はどこだっけという話になると洋服の『てんとうむし』のある場所だったのではないか、いや『てんとうむし』のところは楽器の『すみや』で、レコードの『すみや』は『エコー』と『つり好』の正面だった、などと右往左往し、いずれにせよ記憶の中の『すみや』と場所がかなりずれている。記憶というのはそんな風に勝手に欠落させたり変形させたりしてできあがっているので、友人たちとつきあわせてみるとひどく違っていておもしろい。
『はまや』のレコード袋の写真が手元にないと言ったら『はまや』でギターを買った友人が店に行っておねだりしてくれたが、今は出来合いの袋を使っているという。
◉
« ▼めんどくさい | ▼バラに逢う » |
お世話になったお店ばかりでほんとうに懐かしいです。
中1でギターを始めた僕は、はまやさんの天井から吊るしたのを、
最初に購入しました。¥13,000のEliteというフォークギター。
47年前ですがいまだ現役です。
高1の時にてんとうむしがあったすみや楽器店で買った、
YAMAHAのギターもずっと弾き続けています。
レコードははまやさんでした♬
梅雨が明けてせーせーしましたね。
僕も中学時代に巴町のもちづき楽器で買ってもらったギターはヤマハの FG シリーズでした。今でも持ってます。
あらためて見直すと『あかほり』さんに高橋町店があったのに気づきました。今度従兄にあったら聞いてみようと思います。