電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
関係だけ
|2013年1月7日|
今日は今年初めての病院付き添い日。仕事始めということもあって忙しいので、家内が介護タクシーを使って一人で付き添う。雪国富山で生まれ育った親子で寒さには我慢強いとはいえ、朝の冷え込みが少しは和らいでいるのがせめてもの救いになった。
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冬山遭難をあつかったドラマなどを見ると「眠っちゃだめだ!眠ると凍えて死んでしまうぞ!」などと声をかけ手をかけ、心と体を揺すって励ますシーンをよく見る。その逆というのはとんと見かけないけれど、寝苦しい夏の夜、蚊の大群にまとわりつかれ「眠りたい、眠らなきゃだめだ!眠っておかないと明日外に出て熱中症で死んでしまうぞ!」などと自分を励まして耐えたことはある。寒さが苦手なので前者には耐えられなくて眠りの誘惑にすぐ負けそうな気がするけれど、雪国育ちの家内は後者が耐えがたくて間違いなく熱帯夜の不眠を選ぶという。
暑さ寒さに耐えられるか耐えられないかは、体力の問題でもあるし気力の問題でもある。気力が横溢している時は暑さ寒さなどに負ける気がしないけれど、気力が萎えている時に暑さ寒さがきわまると「死んじゃう」などという本音に近い弱音をすぐに吐いてしまう。気力と体力は個別に存在するのではなく相互の関係でしかない気もする。
先週の金曜日に寒気がして謎の発熱をしたので毎日こんなことを日記に書いていたら、ネットで注文した本『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』と『現代語訳 般若心経』の2冊が同時に届いたので、完全同期読書という方式で読み始めてみた。それぞれが同じ箇所を解説している部分ごとに読み進めるのだけれど、「えてこでもわかる…」の方はサルにもわかるようにということで極力簡潔に書かれているのに対して、後者は僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久なので落ち着いて懇切丁寧に書かれており、ちょっと読んでぐーんと引っかかる、ちょっと読んでぐーんと引っかかるの繰り返しになっている。そうだよなぁ、すべては関係性で成り立っていて、ほかに何もなくて関係性こそがすべてなんだよなぁと頷くことが多い。そんなことをしながらちょっとつまみ読みするベイトソンの、関係という現象こそが精神であるという話しにも、そうだよなぁとやはり頷く。
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