【母と歩けば犬に当たる……19】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……19】
 

19|親子の対話

 人が生きていること、死ぬこととはなにかという人生最大で避けては通れない関心事の一つについて、母と話さなければならない機会が増えて来た。
 病気というのも社会の決めごとにすぎないかもしれない。
 多くの人が
「これは病気です」
と言えばそれは病気なのであり、現代では、多くの人に代わって医療関係者がその役割を仕事として担っている。生きること、老いることはそもそも死に向かって近づいて行く旅であり、加齢するにしたがって元気で若々しくなって行くなどということは、人間の定めとしてあり得ない。人間はある意味、生まれながらにして病気なのであり、健康とは死ぬほどの病状に至るまでの状況と過程にすぎない。病気が治るということに重きを置きすぎると、そこには絶望しか見えて来ない。
 医師の処方する薬の全体像が見えて来て、
「いまの医学でできることはここまでってことか、もっと他の薬はないかなぁ」
と母が言い、
「ちょっと待って、薬というのは食べ物の特殊な形でもあるんだよ。医食同源って言うでしょう。お母さんに次に必要なのは自分の身体のことを考えて、少しでも多く栄養のあるものを手と口を使って摂ることなんだよ」
と、ますます少食になって行く母を励ます。
 母は若い頃から少食気味の人ではあった。そしてわれわれ戦後生まれの世代が、小学生時代からいやというほど教え込まれた栄養学の知識が、義母も含めて母親の世代には乏しいことにあらためて驚く。戦争中に少女時代を過ごしたせいかもしれない。
「乙武洋匡(★1)さんの本を読んだんだよね、どうだった? もらったキューブラー・ロス(★2)も読んだんだってね、どうだった?」
と母に尋ねてみると、驚くほどの誤解や曲解をしつつ絶望したいかのように読んでおり、もつれた糸を解きほぐすように、人が生きることや死ぬことについて語り合う。
「そうか、お母さんが間違ってた。これから考えをあらためて頑張るよ」
などと言ってくれるのだけれど、長年の思い込みは高齢になってから、そう簡単に改まるものではない。
 マザーコンプレックス(★3)、母子癒着気味などと人に言われることも多いのだけれど、それでも本当に大切なことを親と向き合って話し合ったことがいままでどれほどあったかと振り返ると、それは皆無だったかもしれない。
 母は九十歳近くになった母親を、ごく短期間だけれど自宅で介護していたことがある。結局、共倒れしそうになって特別養護老人ホーム(★4)のお世話になったのだけれど、その当時、自分が母と同居して祖母の介護にあたっていたら、言葉は交わさなくても人が生きることや死ぬことについて、母とともに考えを深めることができただろう。おそらく核家族化して親子の対話を失うことによって、生きることや死ぬことについて学ぶ機会を失って来たのかもしれない。
 「治る治らないじゃない、頑張って生きていることこそが健康なんじゃないかな。飲み物や食べ物こそが薬で、飲むことや食べることこそが自分でできる治療法なんじゃないかな」
と、毎日毎日、言葉を荒げないようゆっくりと、笑顔で同じことを語りかける毎日である。病気だから食べられないのはわかっている。わかっているのだけれど、それを認めたくない受け入れたくないという思いが空しいと知りつつ、自分にそれをやらせている自分がいる。

(2003年11月19日の日記に加筆訂正)

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★1 乙武洋匡(おとたけ ひろただ)
先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)という障害をもつスポーツライター。1998年、講談社より発行された『五体不満足』は大ベストセラーとなった。
★2 エリザベス・キューブラー・ロス
精神科医。著書『死ぬ瞬間』が名高い。母は『人生は廻る輪のように』を読んだ。
★3 マザーコンプレックス
母親に過度の愛着や執着を持つ子どもを揶揄する和製英語。略してマザコン。
★4 特別養護老人ホーム
祖母が暮らしたのは清水区柏尾にある特別養護老人ホーム柏尾の里。心身に障害があり、介護保険制度で要介護の判定を受けた人が利用可能な、老人福祉法上で定められた老人福祉施設の中の一つ。略して「特養」。

【写真】 親たちが寝静まってから書いていた日記。

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