級と段数

2016年12月20日
僕の寄り道――級と段数

以前読んだ虚子と漱石の手紙のやりとりの中で確かめたいことがあり、読み返していたら関係のない箇所があらためておもしろい。

階段の段数を「級」で数える。学年の違いや技能の取得段階や酒の品質を「級」で数えることはあっても、階段の段数を「級」で数える人は本の中でしか見かけなくなった。

裁判所の横手を一丁ばかりも這入って行くと、そこに木の門があってそれを這入ると不規則な何十級かの石段があって、その石段を登りつめたところに、その古道具屋の住まっている四間か五間の二階建の家があった。――高浜虚子『漱石氏と私』

教師となって松山に赴任していた漱石を虚子が訪ねた思い出ばなしなのだけれど、大学生だった漱石に初めて会ったときのことは以下のように書いている。

三、四年前一度居士の宅で遇った大学生が夏目氏その人であることは承知していたが、その時は全くの子供として子規居士の蔭に小さく坐ったままで碌に談話も交えなかった人のことであるから、私は初対面の心持で氏の寓居を訪ねた。――高浜虚子『漱石氏と私』

虚子は 1874 年生まれなので 1867 年生まれの漱石より七つ年下だったわけで、1892 年、二十五歳の漱石に対して虚子は十八歳。そんな漱石を写生して「子供として」という表現がおもしろい。この「子供として」は年齢の上下による大人と子供という「級」の話ではなく、遠慮して、この場合は正岡家の客として、要領を得ぬ主体性に乏しい人でいなければならなかった、簡単に言えば自宅なので振る舞いの大きい子規の横で、客として行儀よく小さくなっているしかなかった、そういう状態の漱石のことであり、それを「子供として」と書いて通じた時代と文章に味わいがある。そして虚子は三年後の 1895 年、平気で客を待たせ、片肌脱いで弓を引く「大人の」漱石に出会ったわけだ。

そんなことに興味をひかれていたら、確かめたかったことがなんだったかを忘れてしまった

木枯らしに吹かれてすっかり葉を落とした六義園内の木立(2016年12月19日)


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