電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【保育園の半世紀】
【保育園の半世紀】
4 月 15 日、郷里静岡県清水の古い地図を探しに目黒区青葉台にある財団法人日本地図センターに行き、用事を終えて玄関を出たら正面に上目黒氷川神社の鳥居が見えた。
清水帰省の際に何度となく首都高から見え、東京・清水間を結ぶ高速バス『清水ライナー』もこの脇を通るのだけれど、石段を登り鳥居をくぐるのは半世紀ぶりになる。
幼い頃両親に連れられて外出すると、渋谷から玉電に乗り大橋あたりで降り、この石段を登って松見坂上にあった木賃アパートに帰ったのだ。
神社の境内にかつて『双葉の園』という名の保育園があり、両親が和菓子屋で共働きしていたのでそこに通わされていたのだけれど、卒園してからもう50年も経ってしまった。
はたしてあの保育園はまだあるのだろうかと恐る恐る裏手に回ってみたら、当時よりもはるかに広く立派になって『双葉の園』はそこにあった。
当時は今より園舎が小さくてその脇に外遊び用の広場と遊具がある小さな保育園で、現在の広い遊び場はなかったような気もするのだけれど、深い霧の中に迷い込んだように記憶が曖昧なのでよくわからない。
ひとり息子をこの保育園に通わせていた頃の両親はまだ二十代後半だったんだなと思うと毎度の事ながら胸が詰まる。
( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 4 月 15 日、14 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)
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