【母と歩けば犬に当たる……26】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……26】
 

26|営食養生

 人間歳をとると驚くほど食が細るものだなと思う。
 親たちがたまには蕎麦屋に行きたいというので外出し、席について、
「さあ、何を食べてもいいよ、何が食べたい?」
と聞くと決まって
「ざる蕎麦でいい」
などという。
 この「でいい」がくせ者で、元気のない年寄りに
「何が食べたい? なんでも作るから言ってみて」
と尋ねると
「お粥と梅干しでいい」
になってしまうのと同じ成り行きである。そしてわが家のように年寄りが三人もいると、それは
「ざる蕎麦でいい」
「わたしもざる蕎麦でいいわ」
「おらもざる蕎麦でいっちゃ(富山弁)」
などと次々に連鎖していくのである。
 もちろんざる蕎麦はおいしいし、お粥と梅干しには病気になると必ずお世話になるのだけれど、子どもとしてはもう少し栄養をとらせたい。そこで何が食べたいかなどと尋ねず、山菜天ぷらせいろなどを勝手に注文してやると、親たちはニコニコしながら見事に平らげ、
「ああ、美味しかった」
などと言うのである。
「何が食べたい?」
と聞かれて若者のように料理を思い浮かべ、自分の食欲に問い合わせて何を食べたいか決めることが、年をとると困難になるという一面があるかもしれない。
 だがわが家の年寄りたちが口をそろえて言うには、「でいい」と言うのは子どもや世間に「遠慮しておきます」と言っているのだそうで、子ども夫婦の懐具合を気づかうという意味ではなくて、もう私たちの事は気にしなくていいです言っているのだという。もう人生や社会から降りていきたいし、そうやって降りていく生き方が年寄りとして好ましく思えるのだという。
 わが家の年寄りたちのように重い病気を持っていればなおのこと、年寄りを放っておけば「でいい」の挙げ句の果てに、食生活が枯れて確実に寿命を縮めていくのが目に見えている。たしか理学療法士の三好春樹さんはそういうことを緩慢な自殺と呼んでいた気がするし、そうなるのがわかっていてそうさせておくのは緩慢な自殺幇助のように思えてならない。非援助を貫いて、そういう意味で頑張らない介護を選ぶことができるのかもしれないけれど、どうしても嫌なので何とか栄養のあるものを食べさせようと頑張ってしまう。
 親たちは日々確実に老いていく。
「食べられない、もういい」
と言いつつ、それでも口に入れて気に入ると笑顔でペロッと平らげる親たちの姿が見たくて、あれこれ買い物に飛び回っている。何が食べたいかを尋ねても答えがないのだから、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式の献立大作戦である。しかも食べる量はわずかであり、一つ盛りにしてしまうと遠慮して手を伸ばさないので、銘々盛りにして食欲の演出にもひと工夫している。
 仕事で本郷に出たついでに上野松坂屋まで歩き、地下食料品売場で買い物をしながら、料理屋で盛り合わせなどに使う三つくらいに小分けされた皿があったら食卓が華やぐかもしれないと思いついた。早速食器売場を探して歩いたがいざとなると見つからないもので、上野駅前でタクシーを拾って合羽橋道具街へ行ってみた。
 東京都台東区の合羽橋道具街は、関東近辺で飲食店を開業しようとしたら必ずお世話になる、調理関連商品の問屋が集まった専門商店街である。ここには食欲を演出する小道具のありとあらゆるものが揃っている。
 年寄り達の顔を思い浮かべ、巨大な三品盛り皿ではいささか強圧的にになりかねないので、ちいさな二品盛り皿に計画を改め、飽きの来ない質素な器を吟味して家族五人分買い込んだ。1枚270円なり。
 今年2月に創刊される雑誌『tabedas(タベダス)』(★1)の松井幸江さんからメールをいただいた。
 中国では栄養といわずに営食養生を略して営養というのだと教えていただいた。おそらく軍国化する中で、日本では営が栄に置き換えられたのだろうという。
 食べるというのは単に栄養の摂取ではなく、食べるという生活の営為こそが大切なのであり、年寄りが笑顔で食べてくれれば栄養は自然とそれに付随してくるものなのかもしれない。
 合羽橋までこの小皿を買いに行ったと話し、
「あんたもマメだねぇ、暇なの?」
などと親たちに笑われつつ、今この時この絵顔の大切さをしみじみと噛み締める夕食時である。「でいい」の笑顔は哀しい笑顔であり、息子夫婦は「でいい」が嫌いなのだ。

(2004年1月15日の日記に加筆訂正)

———

★1 『tabedas(タベダス)』
食と排泄に特化した隔月刊の雑誌。ご夫婦ふたりで頑張って4年間刊行を続けて休刊。幸江さんは2011年10月18日、大腸ガンのため65歳で他界された。

【写真】 河童橋道具街にて。

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