【母と歩けば犬に当たる……11】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……11】
 

11|巴川夕景

 
 抗がん剤の投与はきついらしい。
 体がだるくて起きあがるのが困難になった、嘔吐感があって食べ物も一切喉を通らないなどと言って、頑張り屋の母も辛そうである。あまりに苦しげなので週末の仕事打ち合わせを早めに繰り上げて貰い、正午過ぎの新幹線に乗る。
 「大丈夫、週末には抗がん剤の副作用も消えて、また元気になるのはわかっているから」
と気丈に電話口で話す母だったが、そういう母が半死半生のようになって過ごす日に限って見舞い客も多く、実家に帰宅すると臨終の床にある親を見舞ったように沈鬱なムードが漂っていることが多い。
 「どんなに一人で頑張るって言っても、この辺が限界じゃないの?」
という親類の者や友人の口添えに勢いを借り、
「お母さんの気持ちは僕が一番良くわかる。一人息子が東京で頑張っていること、その息子の世話にならず、故郷で一人暮らしして頑張っていることがお母さんの誇りだったんだよね。だけどこの辺でいったん息子の言うことを聞いて、イビと一緒にホテル暮らしをするようなつもりでいいから、東京に出てきて一緒に暮らそうよ」
と言ってみる。
 天井を見上げたまま、母親が泣く姿を見るのは切ないものだ。
「そうだよ光代、頑張るのもほどほどという分別も必要。この辺で雅彦の言うことを聞きなさい」
と頭の上がらないすぐ上の姉に諭され、
「頑張りたい、頑張ろうと思ってきたけれど、今回は万策尽きた」
という母の言葉が悲しさ半分、嬉しさ半分の泣き笑いに見えることにひと安心する。
「息子の世話になりたい」
と母が伯母に話すのを聞いていたら、映画『エデンの東』(★1)のラストシーンを思い出した。
 ひとりふたりと見舞い客が帰り、母と子、ふたりきりの黄昏がやってくる。
 前向きな人生にまた一歩踏み出したせいか、母の顔も晴れやかになり、食欲も出てきて、
「ほら、こうやって副作用もおさまってくる。明日は自転車にのって朝市に行こう」
など言い出すのを聞いて一安心し、夕暮れの巴川(★2)沿いに自転車を走らせ、下流にある次郎長通りの魚屋まで夕飯の買い出しに出る。
 半分が欠けた月も嬉しさ半分、夕暮れにやってきた、いっときの安らぎのように儚げで美しい。
 
(2003年10月4日の日記に加筆訂正)
 
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★1 エデンの東
アメリカの作家ジョン・スタインベックが1952年に発表した長編小説。旧約聖書を題材に、父親と息子の葛藤を描いた作品。エリア・カザン監督、ジェームズ・ディーン主演で1955年に映画化。
★2 巴川
旧清水市内を流れて清水港にそそぐ二級河川。全長18キロ弱と短いのにゆったり流れる、温暖でのんびりした港町にふさわしい川。
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