【母と歩けば犬に当たる……99】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……99】
 

99|巴川河口にて

 欲にもいろいろある。
 いろいろあって、欲と欲とは思いがけない仕組みで複雑に関連しているので、食欲のない人の食欲だけを刺激しても、それがかえって逆効果であるようなこともある。
 このところ食欲が出てきて、今までになく元気にがんセンター通いをしている母である。CTスキャンの結果、少し腫瘍が大きくなっているかもしれないと言われたけれど、
「検査データからの予測ではとうにこの世にいないはずなんだから、自分で感じる体調だけを信じて頑張ろう」
などと、しょげないよう励ましている。
 土曜日は晴天に恵まれ、日差しが暖かだったので、北街道(★1)沿いにある寺へご先祖の墓参りに出かけた。
 途中JA高部(★2)で切り花を買い、ついでに長ネギや産みたて卵を買った母は、
「何を買ってもつくった人の名前が入ってるのが嬉しいね。一人ひとり名前を見るのが楽しい」
と話す。
 帰り道で、江尻東にあった音羽屋(★3)の若い後継者が始めた平蔵(★4)という蕎麦屋が天王西にあるのを見つけ、母は
「もう少し元気になったら食べに来てみたい」
と言う。
 たまにはパン食もいいと言うので、母お気に入りのパン屋で昼食用のパンを買い、
「山の空気を吸ったから今度は海に行ってお昼にしようか」
と誘ってみる。平野部が狭いおかげで山行き海行きが自在なのも郷里清水のありがたみである。
 巴川河口に車を止めて昼食にしたが、家にいるときの倍は食べられたとご機嫌な母である。岸壁で日なたぼっこをしながら釣りに興じる子連れの若夫婦を見て、
「いい家族だねぇ」
と微笑む。
 盛んに小魚を釣り上げるので、
「見に行こう」
と言って岸壁を歩き出す。釣れていたのはギンダベラ(★5)であり、
「これ、どうするの?」
と若いお母さんに尋ねると、少女が横から、
「おさしみ〜」
と言う。手間がかかるけれどギンダベラは刺身で食べると美味しいのである。釣り好きな俳優だった多々良純は、安全剃刀の刃を携行し、ギンダベラが釣れるとその場で三枚におろし、刺し身で食べるのが好きだと言っていた。ぬめりの上手な取り方、天日干しの作り方などを若いお母さんに教えて母は機嫌がいい。
 少し離れた場所でひとりヤンキー座りして、タバコふかしながら竿の先を見ている二十歳そこそこ、だぶだぶズボンで今風な若者に次のターゲットを移して話しかける母である。意外に人なつこい笑顔で嬉しそうに応じてくれる若者を見て安心する。彼はもう少し高級な魚(★6)を狙っているのだと言う。
 介護用ベッドに横たわって足裏ツボ指圧を受けるのを何より楽しみにし、
「こうして自分の足で歩く方がもっと効果があるのはわかっているけどそれができない」
と言う母を屋外に連れだし、さまざまな欲のツボを刺激してみる。

(2005年1月24日の日記に加筆訂正)

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★1 北街道(きたかいどう)
清水の山沿いに古くからある道。海辺近くを通行できなかった時代の東海道。
★2 JA高部(たかべ)
清水区高部にあった農協ストア。清水野菜村と銘打って地元農家が野菜を持ち寄って売っていた。
★3 音羽屋
かつて清水江尻東1丁目にあった老舗そば店。
★4 平蔵
清水区天王西にあるそば店。
★5 ギンダベラ
地域によって様々な呼び名があるヒイラギのこと。清水では銀だベラと呼ぶ。アジに似た食味で、銀色をしていることと、ジンダアジや豆アジの呼称にもある豆(ずんだ)が語源ではないかと思う。
★6 高級な魚
高級な魚がなんであるかは聞き忘れた。

【写真】 岸壁の家族に話しかける母。

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