電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【方位磁石】
【方位磁石】
ネット通販でアウトドア用の多機能時計を買ったら想像していたより一回り大きい。ポケットに入れると重いのでショルダーバッグにぶら下げているが、本来そうやって使うものなのかもしれない。時計以外に小さなコンパスがついているのだけれど、それが意外に役立っているので散財でもなかったなと思う。
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静岡県清水元城町にて(2009/11/21)。
国道からちょっと奥まった場所にある書道教室。
司馬遼太郎によると、磁針が北を指すことを発見したのは中国人だが、明の時代の船磁石は水に薄い磁針を浮かべるものだったので航海中に船が揺れると役に立たない。日本人が発明した船磁石は磁針が針の上にのっているので揺れても平気で、水を用いない磁石「旱針盤(かんしんばん)」と呼ばれたという。
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静岡県清水元城町にて(2009/11/21)。
旧東海道からはかなり離れた場所にある蔵。
入口は巴川方向に向いている。
宗教的理由で方位磁石を必要とする国民ではないけれど、日本人も多分に方位を気にする国民で、仕事場に来客があると「この窓はどっち向きですか?」などと聞かれることが多い。面倒でも「あっち向き」などと答えるわけにもいかないので「北北西」と教えるのだけれど、自分も他所では方位を聞いている。
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静岡県清水元城町にて(2009/11/21)。
足もとを見ると黒い鳥の糞がいっぱいでモチノキの実を集めて回ったらしい。
手元に方位磁石があると役立つのは、自然や人の暮らしぶりの不思議を見て、ふと方位が知りたくなった時で、「そうか北西の季節風を一番受けにくい場所なのか」などと合点がいったりする。そういう体験を何度もしていると、日本人もまた宗教的に方位磁石が必要な国民で神様はやおよろずなんだなと思う。
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磁石の針振り乱さんは無益なり磁石はつひに北を指す針 (前田純孝)
「東の啄木、西の純孝」と並び称されながら,無名のまま夭逝した明治末期の歌人の歌です。
この歌を知ったのはもう20数年前だけど,ある痛烈な決意,あるいは断念の激しさにショックを受け,以来,磁石を見るたびに,反射的に思い出してしまう。
定年退職のとき,「もう金のためには働くまい」と心に決めたときにも,この歌を口ずさんでいた。いや,たいした決意も断念もないままだったのに,なにかしらこの歌に託したい思いがあったんだろうな…と,いまにして思える。
久しぶりに電六を拝見しての感想,相変わらずの昔語りで失礼。
凝縮した短い言葉は長く人の心に留まりやすいのかもしれなくて、僕は学生時代に聴いた「夕日に正対し頑張って立ちつくしている自分が一番嫌いに思えるときがある」という意味のおっさんシンガーの歌詞が、わかったようなわからないような歌だなぁと思いつつ記憶から消えず、今でも夕日に向かってとぼとぼ歩いているとふと思い出します。
そして不思議なことにちょっとわかりかけたような気がするときがあります。
優曇華や磁針はつねに北を指し 鷲谷七菜子
本歌に比してややテンションが落ちるのは本歌取りの歌の習性ですが,ここでも磁針の指す「北」とは,地球物理的な方位という意味を超えて,なにか決意的な「心の方位」(心身の処しかた)とでも言うべきものを表現しているようです。
「北」とはある究極的なるものの謂いなのでしょうか。
優曇華(うどんげ)は三千年に一度花ひらき、その時釈迦如来が到来すると言われる伝説の花ですから、ここでいう磁針とは頭北面西で入滅したという釈迦そのものである、と解釈するのは変でしょうか。