【一里塚】

【一里塚】

季刊誌の仕事で年 4 回だけ訪れる志村 1 丁目。
地下鉄都営三田線志村坂上駅で下車し地上に出ると中山道沿いに志村一里塚がある。日本橋から数えて三番目の一里塚(一里=三十六町= 4km 弱)であり、この手前が板橋宿平尾、そしてその手前が東大正門前で『食堂もり川』がある本郷森川宿だったのである。

江戸時代につくられた一里塚には榎が植えられたそうで、四月の空に新芽が芽吹いて美しかっただろう。
今の日本社会はすべてどんどん平板になる仕組みになっているようで、過半数の人が残したら良いと思うものが失われ、過半数の人がつくらない方が良いと思うモノがつくられ、社会の舵取りの意図が見えにくい。行政側に立つ人間が責任を取らない仕組みにも首を傾げるけれど、一般市民側の責任ある民意というのも実感しがたくて、行政も市民も暗黙の合意の元で平板な社会を目指しているような気がしてしまう。

箱モノ乱立で立体的に見えながら、実はどんどん社会は平板になっていく。
都内で江戸時代のまま完全に保存されているのは北区西ヶ原にある岩槻街道西ヶ原一里塚のみだけれど、力ずくで撤去してしまおうという行政に対して、市民有志と渋沢栄一が強く運動した末にかろうじて保全されたものである。志村一里塚が中山道拡張により両脇に移動されたとはいえ、それでもこうして一里塚らしい一里塚として中山道沿いに保全されたのは奇跡に近いことかもしれない。

妙な無力感を感じる暮らしの中で、志村一里塚脇にある『斎藤商店』の風情を見るのが楽しみだ。
志村一里塚と共に都市景観に関する賞を受賞したこともあるそうで、一里塚が保全されなければ、この商家もこうして残っていなかったような気がする。一里塚が保全されたことに力を得た個人の強い意志を見るようで気持ちがいい。

文京区播磨坂環三道路が花見で賑わい通行止めになっているのを恐れて、毎週土曜日恒例の買い物は湯立坂を上り、母校跡地脇を通り、春日通り茗荷谷駅前に出てみたけれど、角にあった同潤会大塚女子アパートが跡形もなく撤去されて更地になっているのに驚いた。数日前、文化遺産を破壊した都に対する住民訴訟のニュースを見たけれど、なくなった現場を見て、なんとかならなかったのかなぁ、と今になってやっと思う。それくらい近所で暮らしながらも自分の住民意識も平板化しているのだろう。

人類は平板化を志向し、妙にいじらないで残した方が良いものを力試しに破壊しようとする欲望が、無意識に独裁的な悪意として働いているのではないかと感じる。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 5 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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