▼流れる

文章を書いて他人の校正を受けることは面白い。
 
腕利きの編集者の手が入ると、
「(なるほど、こう書けば簡潔で意味の通りやすい文章になるのか)」
と感心させられることが多い。
 
そういう校正ではなくて、
文章を読む際の自然な発音によって区切られる最小単位としての文節を、
明確にするために句読点を盛大に入れてくる校正もあって、
「(そうか、これくらい読点を打ち、句点で分断しないと僕の文章は読むに耐えないのか)」
とわかって興味深い。
 


指示通りの読点を追加してみると、自分が声に出して朗読するとしたら、
この場所に読点はいらないのにと思うことも多い。
朗読ではなく目で追う黙読の際の視覚的流れを重視しているのか、
仮名の連続を見つける度に読点で切りたがっているように思える赤字もある。
 
句点の赤字もまた、朗読したらこの場所は一気にまくし立てた方が
伝えたい思いに勢いがつくのに、と思い、
「(そうか、この人はこんなに長い言い立ては息が切れてしんどいのかもしれないな)」
とも思う。
 
そういう校正のあった場所は指示通り直すのも、指示を無視するのもいやなので、
別の言い回しに書き直してみることにしており、その方がましな文章になることも多い。
いずれにせよ、たぶん悪文だったのだろう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
Unknown (神田町(木組))
2009-02-04 10:07:22
まったく、ブログのダイレクトに書いているので
誤字脱字は誤差のところとは本人はセーフラインの中と思うが・・・
ブログを読みましたよ・・感想は誤字ありましたよ!世間はきびしい
 
 
 
言葉の筋交い ()
2009-02-04 16:45:21
丹念に書かれていますが直書きなんですね。
言葉も構築物ですから建築に興味のある人の目は厳しいのかもしれませんね。
捜し物がどうしても見つかりません。
忙しさもあって遅くなっています。
 
 
 
習慣  (あおい君)
2009-02-05 06:10:43
ボクは、「流れる」から幸田文を思い浮かべてしまったのでした。(笑)
読点は、息継ぎというより主語のあとに付けたくなってしまいます。長年の××勤めで身についた習慣がとれません。(笑)

 
 
 
流れる ()
2009-02-05 09:17:29
>「流れる」から幸田文を

実は朝のNHK BS2 『私の1冊 日本の100冊』が数日前に幸田文の『流れる』を取り上げたとき、僕は吉田拓郎の『流れる』を思い浮かべてしまったのでした(笑)

駿府ふれあい街歩き、快調ですね。
「世界ふれあい…」の方は深夜の時間帯になってご無沙汰です。
僕はまさか地元に「鬼やらい」の行事があるとは知りませんでした。
全国に「鬼やらい」の行事があることを知っていても、まず「静岡にもあるけれど…」ということを知らないのはまずいですね。勉強になっています。
 
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