電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
忍法帖と年表と闘病記
2015年4月8日
忍法帖と年表と闘病記
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01
山田風太郎『戦中派不戦日記』を電子書籍で少しずつ読んでいる。昭和二十年、二十三歳の医学生だった著者がいかに明晰な考えの持ち主だったかがよくわかる。
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末期ガンの告知を受けた母親に付き添った二年間では、思いがけないこともたくさん聞いた。母が読書好きだったという意外な事実もその一つで、どんな作家が好きだったかと聞いたら、答えの中に山田風太郎もいた。
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山田風太郎の作品は読んだことがないが、確か忍法に関する本があったという記憶だけで判断し、十代を肺結核で寝て過ごした母は、気晴らしにその手の本を読んだのだろうと思っていた。
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明晰な山田青年は1950年、28歳で東京医科大学を卒業している。その後、自らを医者に不適格と判断して分筆の世界に入るが、『甲賀忍法帖』を発表し忍法帖もので流行作家となるのは1958(昭和33)年以降であって計算に合わない。
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そういえば幼い記憶の中で、両親は娯楽時代劇をオールナイト興行で観るのが好きだった。母はおそらく息子の世話から解放されると、海苔煎餅をかじりながら大好きな山田風太郎の忍法帖ものを読んでいたのだろう。
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医者を断念するのは惜しいと思うほど明晰な山田青年も歳をとり、病身となった自分について書いたエッセイ集『あと千回の晩飯』があるというので電子書籍で買ってみた。
07
母と山田風太郎に関する年表の記憶を修正し、ついでに書棚を見たら、昭和16年12月8日の開戦の日と、昭和20年8月1日から15日まで、膨大な記録をまとめた『同日同刻』が電子書籍になっていたのでそれも購入した。
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