電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……69】
69|月曜日の時計
月曜日、午前9時ちょっと前、実家に電話して母が生きていることを確かめ、午前9時半過ぎ、郷里にある看護・介護ステーションに電話してケアマネジャーに緊急の訪問看護・介護をお願いする。午前10時過ぎ、部屋の中で寝ていた母をかかりつけの医院に運んで点滴中だとの電話がケアマネジャーから入ってひと安心した。
母に確認したら入院せずにあくまで在宅で過ごしたいというので、毎日医師と看護師に訪問してもらう手はずを整えた。できる限りの手段を講じて手助けをするけれど、これからは寝ている時間の重要性が増すので、手始めに介護用の電動ベッドを入れたらどうかという話になり、是非お願いしたいと答える。今週は仕事を休んで郷里清水に長期滞在すると宣言したので、得意先や友人にメールを書き、納品すべきものの手配を済ませる。
電話とメールを使って母についてできることをひと通り終えたので、大学病院までタクシーを走らせる。午後一番で難病の検査入院のため上京する郷里の従妹に付き添い、入院手続き後、即始まった検査に立ち会うのだ。
検査を終えた医師が一刻も早く家族と話したいという。従妹はほぼ間違いなく筋萎縮性側索硬化症(★1)らしい。叔母が気を失うように倒れ、ナースステーション脇で看護師の応急処置を受ける。
「年をとったけど叔母さんはまだ一家の太陽なんだから、家族の真ん中でしっかり希望を持って生きる人じゃなきゃだめだよ」
と体をさすりながら話しかけていたら泣きたくなった。幼い頃、いつもそうやって希望を持って生きろと励ましてくれた叔母なのだ。
午後4時、郷里にとんぼ返りする従弟と叔父夫妻の車に同乗して東名高速道路を清水に向かう。湾岸方面の首都高から東名に入るのは初めてであり激動の一日の幕切れに見る美しい夕景が胸にしみた。
激しい雨が降り出し、その中を実家に帰り着いたら午後7時ちょうどになっていた。
部屋の明かりもつけずに寝ていた母だが、明かりをつけてみると真新しい立派な介護用ベッドに寝ていて驚く。食卓にはちゃんと介護食も用意され、ヘルパーさんたちがやってきてあり合わせの材料も使い、あっという間に用意してくれ、食器も料理道具もどうしてありかがわかるのだろうと感心したという。
それでも食事に手をつけていないので、
「食べようよ、少しでも食べないと体力がもたないよ」
と声をかけようと思ったけれど、そうすると
「食べられないんだよ…」
と泣かれて逆効果なので、ベッド脇に座り一人缶ビールを3本取り出し、叔母がサービスエリアで買ってくれた甘くて大きなメロンパン2個を食べながら、食べて飲むことの喜びをデモンストレーションした。
元気さが少しは伝わったのか、
「お母さんもご飯を食べて薬を飲むよ」
と電動ベッドの背もたれを器用に操作して起き出す母は、介護ベッドのコマーシャルで人一倍元気になっている老人タレントのようであり、これはまだまだ生きられるなと確信した。
激動の一日が終わり、夜が更けるにつれ雨脚も強まり、それぞれの人間が目を閉じる深夜となる。きょうを一緒に過ごしたたくさんの人たちはいま何を思っているだろう。そこにあるのは安堵であったり、絶望であったり、虚無であったり、徒労であったりするのだろう。生きられる残り時間を計るために時計があるなら、きっとそれぞれに回転する速さが違っているにちがいない。
(2004年10月5日の日記に加筆訂正)
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★1 筋萎縮性側索硬化症
筋肉の萎縮と筋力低下をともなう神経変性疾患。進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺をおこし、人口呼吸器装着による延命をおこなわなければ死に至るとされる。歩いて検査にやってきた従妹はあっという間に全身が動かなくなり、翌年の夏に他界した。
【写真】 東海道新幹線ホームにて。
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