電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【もう一度「いりえおか」】
【もう一度「いりえおか」】
静岡市在住の友だちから郵便物が届き
「またつまらないものを送りつけてきたと笑われるかもしれませんが…」
と手紙が添えられた小さな紙袋が入っており、開けてみたら笑うどころか泣けた。
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静鉄が青葉通りの催事で販売していたというキーホルダー。
生家に最も近い静岡鉄道入江岡駅。公には静岡鉄道静岡清水線で最も乗降客の少ない駅だけれど、個人的には帰省のたびに乗降したので最も馴染み深い駅であり、母親が倒れた2003年夏から2005年夏に他界するまでの思い出は、入江岡駅跨線橋とともにあった。
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2001年12月30日(左)、2002年12月31日(左)。
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2003年1月2日(左)、2003年4月20日(左)。
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2003年9月15日(左)、2003年10月4日(左)。
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2003年12月7日(左)、2004年6月26日(左)。
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2004年10月6日(左)、2004年10月6日(左)。
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2004年10月15日(左)、2005年1月9日(左)。
無人になった生家の処分も終わり、もう清水に帰省しても入江岡駅で降りることもないかな、と思うと最も足が遠のきそうな駅であることに一抹の寂しさもあったので、一生ものの記念品をもらったようで嬉しい。デジタルカメラというものを手にしてから撮り溜めたアルバムをめくり、郷里で待つ親のいなくなった2005年までの入江岡を振り返ってみた。
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区間は桜橋~音羽町
ところが、あろうことか桜橋駅は定期券の発売をしておらず、いつも隣の入江岡駅で買いました。
通し番号を見る限り、入江岡駅で通学定期券を買う人も、相当少なかったようです
僕は昭和30年代半ばの賑やかだった入江岡駅界隈も良く覚えているのですが、橋上にあったという桜橋駅舎の映像がどうしても思い浮かばないのです。何度も前を通ったはずなのに。
市民会館で催しがあるたびに掲出されるであろう「お帰りの際は混雑するので、帰りの切符を買ってからお出かけください」との貼り紙は覚えているのに、駅舎の方はやはりはっきりとは覚えていません。
入江岡の駅とたいして変わらないようなたたずまいだった印象はあるのですが・・・
駅名が漢字ではなくひらがななのがやさしい感じです。
いりえおか駅近くの幼稚園に新清水から2年間通った僕ですが、当時はそこの幼稚園児がかなり利用していました。
改札を出て橋の上の道を横切るのがけっこう危険で、バイクにはねられそうになったこともありました。
ちょっと下って横断歩道渡ればいいのですが‥
小さい駅ですがいろいろな表情がありますね。
今は、急行がなくなったのでどこで乗っても同じになってしまいましたね。
入江岡駅から旧東海道までの久能街道沿いには、昭和三十年代はさくらももこ宅の八百屋はもちろん、かぐわしい焼きたてパンの大和パンなどたくさんお店が並び銭湯までありました。図書館は浜田踏切のところにありましたし、けっこう賑やかだったんですが。
ロバのパン屋も松井町を出発してこの跨線橋を越えていきました。