コメント
 
 
 
珈琲 (なべ四器)
2008-07-30 11:24:41
不思議の交差点に写っている「カフェド プチ」によく行ってました。マスターに珈琲のうん蓄は勿論ですが、ダンスの先生だったので、ちょっとしたステップまで、教えてもらいました。夜遅くまで、友達と遊んでいた事を思い出します。(30年くらい前)

好きな喫茶店でしたが、マスターが店でダーツを始めてしまったので、行かなくなってしまいました。当時は「イエメンモカ」が好きで飲んでいました。
 
 
 
蕎麦・珈琲・蕎麦 ()
2008-07-30 12:33:19
「カフェ・ド・プチ」ご存じでしたか。
この角を曲がる前の北街道沿いに「戸隠蕎麦」の店がありその先に「霧下蕎麦」の店があったので、はて、なべさんが言っていた店はどちらだっけと首をかしげて歩いてました。後者は安田屋本店といいましたが、昔、母親と入ったことがあるような気がして不思議な気分でした。
その二軒の蕎麦屋の間に「since1953川島珈琲店」というのがあり、ああ冷たい珈琲が飲みたいなぁと思いながら歩いたので「カフェ・ド・プチ」覚えてます。
 
 
 
小さな珈琲店 (あおい君)
2008-07-30 12:39:29
カフェ・ド・プチは、ボクも何回か行ったことがあります。たしかよその店がコーヒー一杯200円くらいのとき500円くらいしたような記憶が・・・
ダーツ趣味者のたまり場のようになってしまってからはボクも行ったことがありません。

安田屋は、戦前からあの場所にあったようです。(10年くらい前火災で建て直した。)
水落交番手前の戸隠はあそこにできてからそんなに経ってないと思います。(と言っても10年くらいたつか?)
 
 
 
ダンス・ダース・ダーツ(村上春樹風) ()
2008-07-30 13:27:55
二人の交差点だったのですね。

↓見落としていました

>ダンスの先生だったので、ちょっとしたステップまで、教えてもらいました

それで、フォークダンスとはいえ綺麗にステップを踏む理由がわかりました。

>コーヒー一杯200円くらいのとき500円くらいしたような

なべさんが行っていたのは30年くらい前とのことですが、その時代はたとえ他店の倍以上の値段がしても、そういう店の珈琲を飲みに行く時代でしたね。
ただ安けりゃいいという時代に生きていると悪くない時代だったと懐かしいです。
 
 
 
DanceInTheDark (taka)
2008-07-31 21:05:55
こんばんは。いつも拝見しています。
懐かしい写真を見て書き込みました。世界長がある
路地は、よく自転車で通りました。むかしのままで
すね。城東町は元は練兵場で、戦後宅地化したので、
区画がはっきりしていると聞いたことがあります。
似たような通りが多くて、いつ行っても迷います。
ところで安田屋本店の向かいにある路地を入って
ずっと南へ進むと、静鉄の踏切がありますが、この
踏切の手前の道路が妙に広くて、長年の謎です。
むかし専売公社があった辺りで、最近、まっすぐに
整備されたようですが。廃線跡でしょうか。
 
 
 
駿府城と安東 ()
2008-08-01 11:43:11
>城東町は元は練兵場で、戦後宅地化した

なるほど。調べてみたら1896(明治29)年に駿府城の天守閣、御殿の紅葉山、本丸土手を壊した土砂を使って本丸・二の丸などを囲む堀が埋め立てられ、それでも余った土砂で安東練兵場の埋め立てをしたとネット上にありました。そして静岡に歩兵聯隊ができ8年後には日露戦争に突入していくわけです。

謎の広い道路は全く思い浮かばなかったので地図を見ておそらくここだろうと確認だけできました(笑)
 
 
 
蕎麦屋 (真丹後)
2008-08-01 20:41:16
春に沓谷霊園に行って、大杉栄の墓に手を合わせて、帰り道に蕎麦屋に入ったのですが、戸隠だったか霧下だったか。
谷津山や清水公園のあたりから新静岡まで歩きましたが、あのあたりはなかなかいいですね。
中学生の頃、自転車で静岡まで行くというと、なぜか北街道を行くと決まっていて、新静岡の手前あたりから都会っぽくなっていくあたりで、いつもわくわくしていました。静岡でもすごく都会に思えたんですが、あの感覚はどうして消えたんだろう。
 
 
 
北街道 ()
2008-08-02 08:59:11
大杉栄の墓が静岡にあること自体を知りませんでした。
ネットで検索して理由を読み、荒畑寒村撰の碑文を読みました。

僕は昭和三〇年代初め頃、北街道沿いの大内で暮らして高部の幼稚園に通っていましたが、夜の闇が深く明るい場所といえば押切交差点に数件あった商家から漏れ来る明かりくらいでした。
大内から西、鳥坂方面などその闇がさらに深く物質も光も放出できない天体でもうずくまっているかのようでした。
最近は墓参後しずてつバスで北街道を静岡に向かいますが、街が均質化してしまって数年前まであった闇の吹き溜まりももう街道沿いに見つからなくなり、かえって静岡市中心部近くに、懐かしい薄暗がりの断片を見るようになりました。

『季刊清水』割り付け作業に入りました。
 
 
 
謎の広い道路 (あおい君)
2008-08-02 10:33:20
以下はほとんど個人的な想像の範囲のことですが・・・
鷹三メの元県立中央病院前の道にはかつて道路沿いに水路が流れていたようです。
この水路は、踏切手前に来ると、左へそれて流れて音羽公園方面に流れていたのではないでしょうか?
その結果、水路を暗渠にして道路を広げた際、踏切手前だけ広い道になったのでは?
たしかなことは付近に昔から住んでいる人に聞かないとわからないでしょうが・・・・

http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.23.47.3N34.58.30.3&ZM=12
 
 
 
ふと思い出したので ()
2008-08-02 17:41:13
脈絡のないコメントですみません(笑)

寺内大吉『化城の昭和史―二・二六事件への道と日蓮主義者』を読もうと思ったらコレクターアイテムで大変な値段がついてるんですね。
Amazonで買おうと思ったらびっくり。
 
 
 
キックボクシング評論家 (真丹後)
2008-08-02 19:51:30
と思わせて、実は大衆小説家だとずっと思ってました。
なので、寺内大吉が浄土宗管長就任というニュースを聞いてびっくり。さらに『慟哭の明治仏教』を読んだら、けれんみのないノンフィクションだったので、さらにびっくりしました。

アマゾンの古書は足元をみた値つけのことがあります。「日本の古本屋」のようなサイトが出来ているので、そこで入手可能か否かを確認すれば、素人でも値つけできますし。
ただ、昔から、絶版になったばかりの文庫は古本屋では意外に探しにくいです。
私のような「古本極道」なら、ブックオフ百均の棚に網を張っといて、天から降ってくるのを待ちますが、六さん向きではないですね(笑)
 
 
 
真実は暗渠の中 (taka)
2008-08-02 22:38:39
「あおい君」さん。ご回答ありがとうございます。
安東へ移転する前の県立中央病院へは何度も行った
ことがありますが、その頃はもう水路はありません
でした。むかし北街道には川が流れていたことや
例の広い道は清水公園方向へ傾斜していることから、
あおい君説は可能性があるかもしれませんね。
 
 
 
バスクベレー ()
2008-08-03 10:27:05
>キックボクシング評論家

というイメージが強かったのですが司馬遼太郎の浄土真宗に関するエッセイを読みちらしていくうちに成田有恒(寺内大吉)らと「近代説話」という雑誌を発行していたことを知り、寺内大吉の意外な素顔を知りました。
「近代説話」を出し始めた頃、司馬遼太郎は「これはバスク人になってしまうかも知れない」と思ったそうですが、思えばキックボクシング評論家としてテレビでよく見た頃の寺内さんはよくバスクベレーをかぶっていたように記憶しています。

『慟哭の明治仏教』は知りませんでした。
古本屋をあたってみます。
 
 
 
清水公園界隈 ()
2008-08-03 10:33:41
>例の広い道は清水公園方向へ傾斜している

あおい君とtakaさんのやりとりを見て興味が出てきたので、今度ご先祖に縁がありそうな瓦場町を訪ねる際に散歩してみたいと思います。
楽しい話をありがとう。
 
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