コメント
 
 
 
「うまい」は「あまい」か・・・ (tokiomark)
2007-07-24 23:17:20
直接感じること。
五感てことかな。
味覚もその一つだ。

五感が運ぶ享楽は確かに神の与え賜えし宝だ。これ以上に直接的な快楽はないからだ。

しかし、これは長年生きていると、五感というものは歳とともに失われて行くものなんだなと意識するときが必ず来るものだ。

じゃあ、その先、どうやって人生を楽しもうかということになる。同時にそれは誰も教えてくれないから、その先の自分の人生は、自分で責任をとるしかないってことに気がつかなければいけないってことだ。

スウィフトの「ガリバー旅行記」を思い出す。
生き伸びることが苦痛以外の何物でもないって長寿の世界の紹介がある。

俺は一体、どうするだろう?
 
 
 
肌ざわり ()
2007-07-25 10:38:41
>神の与え賜えし宝

五官(五感)のうちでいちばん人間の慰めになるのは視・聴・嗅・味ではなく皮膚(触覚)なのではないかと僕は思います。

最近、年老いたり重病になった人を見送ることが多く、そういう人たちが最後まで握った手を握り返す力が衰えないのに驚き、手を握ると「ああ人の肌はぬくといなぁ…」などと嬉しそうに握りかえされることが多いです。

見たり聴いたり嗅いだり味わったりができなくなった人間にも神様は最後まで皮膚(触覚)という救いを残してくれているように思います。

三重苦のヘレンケラーの手を取って水に触れさせたサリバン先生を思い出します。

自分が最後の時を迎えるとき皮膚(触覚)こそが慰めになるような気がしてなりません。
 
 
 
うーむ・・・ (tokiomark)
2007-07-26 00:33:14
そうかもしれない...

僕は両親とも、死に際を知らない。
間に合わなかったからだ。

でもそういう問題じゃなくて、肌と肌というのはわかる気がするなぁ。
何か意志みたいなものを、直接送る気がするから。送られた本人(生きている側)は、それをどのように解釈するかの自由が残されてるもんね。
これは五感を通じての第六感へのメッセージと受け取るしかなく、またそれでよいと思う。
 
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