コメント
幻のルート
(
IYA
)
2007-10-17 10:59:17
父にかなり昔に聞いたのですが静鉄三保線という計画があったらしい?国鉄の勘違いだと思っていましたが、なんとなく静鉄さんを検索してたら見つけました。桜橋~堂林~北矢部~宮加三~駒越などを経由して三保まで行く計画だったとの事。江尻庵原軌道なんてのもあったとは・・。
http://www4.tokai.or.jp/s.tetudourekisi/index2.html
市内循環じゃん
(
薬局の末息子
)
2007-10-17 11:50:36
ぼくが小学生の頃、まちなか巡回バスとほぼ同じ経路で「清水市内循環線」が走っていました。
停まった場所は、清水駅・新清水・市役所前、旭町、波止場、港橋(バス停は橋の上)、元魚町、梅田町、三五教前、岡町、八分団前、桜ヶ丘、桜橋、入江2丁目、魚町、小芝町、大手町、大和町、清水駅・・・だった気がする。(この順序は波止場まわり。逆方向は入江回りと言った気がする)
西久保車庫で一番古い中型バスが、30分ばかりかけてのたのた走りました。一周するのがすきだった。
市内循環が廃止になってから、矢部線が入江の細い道を走るようになったわけです。
それよりももっと前は、次郎長通りを矢部循環が走っていたらしいんだけど、それは記憶にありません。
まぼろし探偵(by桑田次郎…古いなぁ)
(
六
)
2007-10-17 13:09:04
幻の静鉄三保線、知りませんでした。
桜橋から大曲を経て辿り着く大曲橋にあったという鉄路はこれに繋がるように設置されていたのかしら。
国鉄の清水・三保間臨港線が開通したのも市制20周年に当たる昭和19年でしたから静鉄三保線を突貫工事で作ろうとした戦中の事情は共通していたのかもしれませんね。
清水市内循環
(
六
)
2007-10-17 13:15:44
なるほど「小芝町、大手町、大和町」をパスするとルートがそのものずばりで、清水銀座を通るために「清水まちなか循環」は反時計回り一方通行なのですね。
次郎長通りのバスの件も次郎長通りで小耳に挟みました。
それにしても細い道を通る路線バスに乗ると日本人運転手の腕前に感心します。
母から電話で
(
麦
)
2007-10-17 17:35:48
ここ数日何度も聞かされております(笑)。さっそく頻繁に利用しているようで…。普通の路線バスと同じ大きさじゃなくてちょっと小さいのでもいいのにとか言ってます。
入江二丁目で布団屋が最高に稼働していた頃、母が南矢部15-2の別宅(笑)で縫い物をするために、よく店に預けられておりましたが(もう35年ぐらい前)、“市内循環”は今と同じあの細い道を頻繁に通りさらにすれ違ったりもしていて、子供心に運転手さんは器用だなと感心したものでした。入江商店街の繁盛ぶりも今は懐かしい思い出です。
もひとつ
(
麦
)
2007-10-18 00:00:09
今日乗った妹の話だと利用者数がまだまだ少ないとのこと。もっともっと宣伝しないと…とさっそく心配していました。
使いたいけど
(
中子
)
2007-10-18 00:50:29
私が清水を離れてから、街のいろんな面が改良されて、だけど半年に一度くらいしか帰郷できない現状では、その恩恵に与れない。くやし~い。
ちょっと、話がそれますが、お蕎麦屋の“福寿亭”は、実家の菩提寺のすぐ横の店なのですが、お墓参りの際の昼食は、上清水にある、父親の同級生のラーメン店に行くのが常だったので、行った事がありませんでした。ところが、ご主人が体を悪くされたらしく、お店を閉めたとのこと。それで、初めて福寿亭に行きましたが、おいしい蕎麦を食べると、清水に帰ってきた!と実感します。
先日の“和物所稲荷”を帰郷の際、父親に確認したところ、知っているどころか、すぐ近くには、知人が住んでいて、先日も、お稲荷さんで、集会があって、写真撮影を頼まれ、お礼にお供え物か何かもらってきたとのこと。“あそこは、ふりぃだよ” なるほど 長くなってすみません。
大は小を兼ねる
(
六
)
2007-10-18 09:25:54
男はトイレの場合、大と小が別れているので大は小を兼ねますが小は大を兼ねません。
とはいうものの小学生時代に大が塞がっていたので小で大を兼ねた友人を知っています。
文京区の場合もミニバスで始めたのですが利用者が増えてしまって大変なときがあります。
年寄りがミニバスで座れずに移動するのは可哀想なので大がうんこうされて良かったのかもしれませんよ。
それましょう
(
六
)
2007-10-18 09:32:06
お蕎麦屋の“福寿亭”は遠い遠い親類筋です。
で上清水にあったラーメン屋さんって記念塔通りの“S”さんではないですか。
だとしたら万世町の三盛楼の血統をひく美味しい店でした。
“あそこも、ふりぃだよ”
“S”さんは電脳六義園通信所トップページ左側からリンクしているブログを運営している中学1学年後輩の実家です。
迫力!
(
サッカーおやじ
)
2007-10-18 09:35:33
昨日娘と清水銀座の戸田書店に15時過ぎに行ったら、
ちょうど巴町方面から踏切を渡ってくるバスを発見、
あの大きさのバスが通るとけっこう迫力がありますね。
乗客は3人程確認、がんばれ巡回バス!
迫力2
(
六
)
2007-10-18 09:41:38
写真が撮れましたらぜひ見せてください。
僕も今度帰省したら狙ってみます。
そういう光景こそ、いつか思い出話をするときに写真に撮っときゃよかったと思うんですよね。
確かに迫力だろうなぁ。
お世話になりました
(
サッカーおやじ
)
2007-10-18 15:32:43
福寿亭次男の中山雅夫氏は小学校教諭で、僕が江尻小学校6年の時、新任で来られてサッカーの練習を見ていただき大変お世話になりました。楽しい思い出がいっぱいです。
県大会で3位になったとき、福寿亭で祝賀会をやってもらい、
”大人の雰囲気”を味わったのでした。
バス撮影は機会があったら狙ってみます。
清水相関図
(
六
)
2007-10-19 10:09:17
そういう小さな縁の積み重ねによる奇遇に感動していると友人は
「清水ったって狭い町だんて…」
と笑います。でもほのぼのと嬉しいよね。
そうです!残念です!
(
中子
)
2007-10-20 01:39:18
あの通りを、“記念塔通り”と呼ぶのを最近知りましたので、最初確信がなかったのですが、リンク先を拝見しました。あ~んな、すごい人たちも食べたんですか!すごい!本当に、家族でよく行きました。
“ゴマ味ラーメン”が特に好きで私は、いつもそれでしたが、先回、帰郷した際に行った時、なぜか、“メニューをコンプリートしてみよう!”などと、思い立ち、食べたことのなかった“海老ラーメン”を食べたのが最後でした。でも、よく見ると、メニューに“ゴマ味ラーメン”って載ってなかったような、、、。
六さんの後輩の方は、ご主人の弟さんでしょうか?
昔、父が、“この店の弟がものすごく賢くて、、、”と話していたことがあります。もう食べられないのは残念です。
狭い清水のクリスマスイブ
(
六
)
2007-10-20 11:08:34
大脱線の大余談です。
あきれないでね。
何年も前ですがネットを通じて中学の一年後輩からメールがあり彼は今も海保に勤めていますが後に遠い親戚とわかりました(母方の曾祖母が彼の本家に嫁いだ人だった)。
で、その彼がネットで自分の同級生を見つけたと紹介してくれたのが記念塔通りのラーメン屋“S”の息子さんでした。
その“S”の息子さんが南高在学中に同級生だったのが僕を砥鹿神社お日待ちに招待してくれてこの夏に他界された友人だったのです。
ラーメン屋“S”は開店記念日が12月24日で、あまり物が食べられなくなった友人が「ラーメンが食べたい」というので昨年の12月24日に開店記念日でしかも同級生の元実家に連れて行ったのですが残念ながら休みでした。
ラーメン屋“S”の息子さんは親を早くに亡くされており、今年2月末日の閉店まで続けておられたのは叔父さん夫婦だそうです。
僕は実は一度しか行ったことがなくて(なぜかその日は万世町の居酒屋「みき」のお母さんと会った)これから足繁く通っていろいろ食べてみようと思っていたところなので突然の閉店は残念でした。
そうそう昨年の12月24日は“S”にふられたので岡小脇の“P”に友人を連れて行ったのでした。
宅配便のお兄さんがサンタの格好をして街を走っていました。
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http://www4.tokai.or.jp/s.tetudourekisi/index2.html
停まった場所は、清水駅・新清水・市役所前、旭町、波止場、港橋(バス停は橋の上)、元魚町、梅田町、三五教前、岡町、八分団前、桜ヶ丘、桜橋、入江2丁目、魚町、小芝町、大手町、大和町、清水駅・・・だった気がする。(この順序は波止場まわり。逆方向は入江回りと言った気がする)
西久保車庫で一番古い中型バスが、30分ばかりかけてのたのた走りました。一周するのがすきだった。
市内循環が廃止になってから、矢部線が入江の細い道を走るようになったわけです。
それよりももっと前は、次郎長通りを矢部循環が走っていたらしいんだけど、それは記憶にありません。
桜橋から大曲を経て辿り着く大曲橋にあったという鉄路はこれに繋がるように設置されていたのかしら。
国鉄の清水・三保間臨港線が開通したのも市制20周年に当たる昭和19年でしたから静鉄三保線を突貫工事で作ろうとした戦中の事情は共通していたのかもしれませんね。
次郎長通りのバスの件も次郎長通りで小耳に挟みました。
それにしても細い道を通る路線バスに乗ると日本人運転手の腕前に感心します。
入江二丁目で布団屋が最高に稼働していた頃、母が南矢部15-2の別宅(笑)で縫い物をするために、よく店に預けられておりましたが(もう35年ぐらい前)、“市内循環”は今と同じあの細い道を頻繁に通りさらにすれ違ったりもしていて、子供心に運転手さんは器用だなと感心したものでした。入江商店街の繁盛ぶりも今は懐かしい思い出です。
ちょっと、話がそれますが、お蕎麦屋の“福寿亭”は、実家の菩提寺のすぐ横の店なのですが、お墓参りの際の昼食は、上清水にある、父親の同級生のラーメン店に行くのが常だったので、行った事がありませんでした。ところが、ご主人が体を悪くされたらしく、お店を閉めたとのこと。それで、初めて福寿亭に行きましたが、おいしい蕎麦を食べると、清水に帰ってきた!と実感します。
先日の“和物所稲荷”を帰郷の際、父親に確認したところ、知っているどころか、すぐ近くには、知人が住んでいて、先日も、お稲荷さんで、集会があって、写真撮影を頼まれ、お礼にお供え物か何かもらってきたとのこと。“あそこは、ふりぃだよ” なるほど 長くなってすみません。
とはいうものの小学生時代に大が塞がっていたので小で大を兼ねた友人を知っています。
文京区の場合もミニバスで始めたのですが利用者が増えてしまって大変なときがあります。
年寄りがミニバスで座れずに移動するのは可哀想なので大がうんこうされて良かったのかもしれませんよ。
で上清水にあったラーメン屋さんって記念塔通りの“S”さんではないですか。
だとしたら万世町の三盛楼の血統をひく美味しい店でした。
“あそこも、ふりぃだよ”
“S”さんは電脳六義園通信所トップページ左側からリンクしているブログを運営している中学1学年後輩の実家です。
ちょうど巴町方面から踏切を渡ってくるバスを発見、
あの大きさのバスが通るとけっこう迫力がありますね。
乗客は3人程確認、がんばれ巡回バス!
僕も今度帰省したら狙ってみます。
そういう光景こそ、いつか思い出話をするときに写真に撮っときゃよかったと思うんですよね。
確かに迫力だろうなぁ。
県大会で3位になったとき、福寿亭で祝賀会をやってもらい、
”大人の雰囲気”を味わったのでした。
バス撮影は機会があったら狙ってみます。
「清水ったって狭い町だんて…」
と笑います。でもほのぼのと嬉しいよね。
“ゴマ味ラーメン”が特に好きで私は、いつもそれでしたが、先回、帰郷した際に行った時、なぜか、“メニューをコンプリートしてみよう!”などと、思い立ち、食べたことのなかった“海老ラーメン”を食べたのが最後でした。でも、よく見ると、メニューに“ゴマ味ラーメン”って載ってなかったような、、、。
六さんの後輩の方は、ご主人の弟さんでしょうか?
昔、父が、“この店の弟がものすごく賢くて、、、”と話していたことがあります。もう食べられないのは残念です。
あきれないでね。
何年も前ですがネットを通じて中学の一年後輩からメールがあり彼は今も海保に勤めていますが後に遠い親戚とわかりました(母方の曾祖母が彼の本家に嫁いだ人だった)。
で、その彼がネットで自分の同級生を見つけたと紹介してくれたのが記念塔通りのラーメン屋“S”の息子さんでした。
その“S”の息子さんが南高在学中に同級生だったのが僕を砥鹿神社お日待ちに招待してくれてこの夏に他界された友人だったのです。
ラーメン屋“S”は開店記念日が12月24日で、あまり物が食べられなくなった友人が「ラーメンが食べたい」というので昨年の12月24日に開店記念日でしかも同級生の元実家に連れて行ったのですが残念ながら休みでした。
ラーメン屋“S”の息子さんは親を早くに亡くされており、今年2月末日の閉店まで続けておられたのは叔父さん夫婦だそうです。
僕は実は一度しか行ったことがなくて(なぜかその日は万世町の居酒屋「みき」のお母さんと会った)これから足繁く通っていろいろ食べてみようと思っていたところなので突然の閉店は残念でした。
そうそう昨年の12月24日は“S”にふられたので岡小脇の“P”に友人を連れて行ったのでした。
宅配便のお兄さんがサンタの格好をして街を走っていました。