コメント
 
 
 
語呂語感 (薬局の末息子)
2012-08-27 16:23:55
 車内アナウンスで「次は終点、どです」

「ど」だけだとおさまりが悪いので、「どんむら」なんて言い方をします。
 
 
 
表記と発音 ()
2012-08-27 16:40:22
>「ど」だけだとおさまりが悪いので、「どんむら」なんて言い方をします。

地元の人は「土村」と言う、という話は聞いたけど、なるほど「どんむら」かぁ。清水ならそう言いそうな気がするね。

宇都宮線に乗るたびに「The next station is TORO~」というのを聞くたびに、なんか囃されてるみたいで変な感じです。
 
 
 
川遊び (サッカーおやじ)
2012-08-28 05:06:26
興津川というと川遊び。若い頃に友人と、子どもができてから家族でよく行きました。行く場所は決まっていて、六様が通過した「雨乞」というバス停よりちょっと下の河原がテリトリー。最近行っていないなぁ。
 
 
 
川遊び ()
2012-08-28 08:50:25
>「雨乞」というバス停よりちょっと下の河原がテリトリー

雨乞も面白い地名ですよね。
興津川の川遊び、何度も行ったのに場所が特定できません。
大人も背が立たないような真っ青な淵があった場所だったな、とバスの車窓から見ていると、同じような場所があちこちにあるので特定できません。
 
 
 
住んでいました (mcberry)
2012-08-28 22:31:55
但沼には幼稚園の頃に住んでいました。
当時住んでいた長屋はまだあります。
パン屋に、映画館、アイスクリーム工場に、加治屋さんいろいろありましたが、本屋はなくて小島の薬屋さんに細々と漫画の月刊誌が売られていました。

但沼から小島まで山道を歩いて幼稚園に通っていましたがここが甲府へ通じる道だったのかもしれません。

この道の周辺は今も面影を残しています。
 
 
 
身延道 ()
2012-08-29 13:39:06
小島幼稚園、小島小学校と但沼を繋ぐ山道がGoogleマップと航空写真でもわかりますね。なるほど、確かにこれが歩いていた時代の身延道かもしれませんね。小島に行ったら歩いてみます。
しかし、但沼に映画館があったと知ってびっくりです。
 
 
 
Unknown (真丹後)
2012-08-29 14:28:02
夏休みになると、母親の実家のあたりでよく泳いでました。小島藩の陣屋敷の南に細い小川があって、それが興津川と合流するところから南が僕らのテリトリーでした。今は汚くなって泳ぐどころじゃないかもしれませんが、適当な淵もあって、40年も前は水もまあまあ綺麗で、なかなか楽しかったです。

清地(雨乞のあたり)は、たまにしか連れてってもらえない贅沢な場所でしたね。但沼は、川遊び客をあてこんだ店もあって、たしかにちょっとにぎやかでした。
 
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