コメント
 
 
 
より魂に近く (tokiomark)
2007-06-08 22:28:44
お母様は生きていた存在だったと想いますね。

ははは、実は、雷が自分に落ちるのではないかと僕も六様と、その危険を感じる心配度は同じかもしれない。
でもさ、お母様の世代は、「当たっちまったら、そりゃそれで、しょうがないじゃないか!」って潔さがあるよね。「ぱって光った瞬間、ドカンって音を聞く前に、もう私は天国にいるってことだよね、苦しまずにあの世にいるってわけだ、それも人生だよね」って言って笑っているお母さんの顔を思い浮かべられるんじゃないの。
「長生きが必ずしも幸せだとは限らないじゃん」て話が聞こえて来そう。

話し変わるけど、避雷針と空の写真、あれいいね!
 
 
 
ほーむわーどばうんど ()
2007-06-09 05:17:25
>「長生きが必ずしも幸せだとは限らないじゃん」

そういうことも言ってましたが、
不老不死を願う気持ちとポックリあの世行きを願う気持ちは表裏一体で
人はエントロピー最大に至るまで何度もその表裏を行ったり来たり
言を翻してバタバタするような気がします。我が母を見た限り。

今、5時20分発静岡行を待つ東京駅7番線ホームです。

避雷針の写真、気に入っていただけて嬉しいです。
 
 
 
なるほど (tokiomark)
2007-06-09 09:59:37
>不老不死を願う気持ちとポックリあの世行きを願う気持ちは表裏一体…

生者の揺れる気持ちについての正確な描写ですね。
昭和の時代にある名僧が言ってたことを思い出しました。
「どんなに修行しても、悟りとは一瞬姿を現すもので、次の瞬間、それはすぐに消えてしまう。生きている間、悟りは常に自分と一緒にはいてくれない」
みたいなことを仰ってました。
 
 
 
悟りのはかなさ ()
2007-06-10 15:05:02
昨日清水に着いたらやはり雷鳴が轟いており、
桜橋町の珈琲屋に行く際にもさくら幼稚園脇の
歩道橋を渡る勇気がありませんでした。
自分なりに多少の悟りは開いたつもりなのですが
何も変わってない自分がいました。
 
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