森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

学習院大学における尖った謝辞

2020-04-02 12:37:51 | 原発・エネルギー

学習院大学では卒業式が中止になったことを受けて、2020年3月20日に卒業生による謝辞が国際社会科学部のHPに掲載された。小堀奈穂子さんは、国際社会科学部卒業生の代表の一人として大変興味深い謝辞を述べた。
https://togetter.com/li/1485459

ツゲッターなどでは、「これは伝説に残る文章だ」とか、パンチが効いているとか、オリジナリティーと攻撃力に満ちているなどというコメントが目についた。学習院大学では最高の名誉ある安倍能成記念基金奨学金をもらった人であるから、賢い人であることは疑いがない。どういう謝辞をすれば社会が彼女を称賛するか、そんなことは百も承知だろう。だから、この尖った謝辞は確信を持った明確な自己主張であり、またその意志を入学から卒業まで一貫して貫いてきた人であることが分かる。
ではどういう意志だろうか。
この世には自分の意志しかないという確信であり、自分の意志を最優先すべきという確信である。この謝辞の内容に対して、現代社会や先人に感謝をすべきだというコメントが多い。例えば学習院大学において図書館を使って知識を深めるのも様々の便利な機器を使えるのも多くの先輩達のおかげだ。それに感謝すべきだというコメントである。
彼女の謝辞は、まさにそれを否定している。感謝がいけないというのではない。感謝するなというのではない。感謝をしたい人はすればよい。感謝をしたくない人にまでそれを強要するなというのである。まさに自分の意志を尊重し、それがまた他人の意志を尊重することになると、彼女は考えるのである。
だから彼女は「自分に感謝する」という。図書館を利用するのも、便利な機器を使うのも自分の意志である。図書館に頼みこんで無理やり使わせてもらったのではない。あくまで自分のアイディア、意志、そして必要ならば幾ばくかの自分のお金である。それで自分自身が大きな収穫を得たのなら自分の意志のおかげであって、図書館を作ったあるいは維持している人々のおかげではないと、彼女は考える。だから感謝するならそれは自分だと彼女は考えるのである。むろん過去の長い間に渡って、この社会を作り上げてきた多くの人に感謝したい人はそうすればよい。他人の自由を制約し、感謝をするなと強要するつもりは彼女にはない。だが、逆には自分の意志にそぐわないことはするべきではないと彼女は考える。
自分と、そして他人の自由を尊重するのである。
その意味では、相模原障害者殺傷事件の犯人の植松聖と同じである。メキシコ国境に巨大な壁を作ったトランプ大統領、難民を入れないEUの防御フェンス・・。なぜそれらを作るのか?自分で食べていけない貧困者を自国の税金で食べさせることをしたくないのである。食い詰めた縁もゆかりもない赤の他人をなぜ私たちのお金で食わさねばならないのかと疑問に思い、それを望まない人々が急激に増えている。それらの人たちの収めたお金が税金には含まれている。そう考える人たちは当然ながら、難民排除を掲げる政党に投票する。欧州では難民排除の極右政党が台頭している。もはや政権与党になってしまった国すらある。この流れが濁流となって世界中を席巻しつつある。日本では、卒業生の代表として謝辞を述べるくらいの、著名な大学の最優秀の生徒が、この流れの先陣を切ったのである。


以前このブログに書評を掲載したが、アイン・ランドの小説『水源』の主人公ハワード・ロークと重なる。ハワード・ロークは自分の意志を貫き自分が生み出したものを守ったが、その自分自身が生み出したものが大きな財貨をもたらした。しかし、ハワード・ロークは生み出したものに付随して生まれる財貨には関心をもたなかった。小説ではそうだが、現実はそんな綺麗事ではすまない。自分自身が生み出した固有のものではなく、それに伴う財貨によって貧富の差が拡大する。GAFAを見ればそれがわかる。
この『水源』の主人公ハワード・ロークあるいは、優秀な小堀奈穂子さんの謝辞に対して、堂々と対峙する有識者からのコメントやメディアなどからの論陣はないのか?

この考え方を食い止めるだけの論理を持つコメントあるいは論陣を張ることができなければ、現代において飛び抜けて優秀な第2、第3の小堀奈穂子が出てくることは、もはや必然のように思われる。小堀奈穂子の考え方を変える力を持つ、あるいは相模原障害者殺傷事件の犯人、死刑を宣告されそれを堂々と受ける植松聖の心を揺さぶる論理である。


皆さんは、この流れは正しいと思われるだろうか?
もしこの流れを止めたいと思うならば、どうすればよいだろうか?

 

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3 コメント

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小堀さんのような娘がいたら (まや)
2020-12-07 01:30:25
小堀奈穂子さんの「謝辞」のことをこのブログで知りました。
Kさんが「自分に感謝する」とおっしゃったのは、ステレオタイプの「謝辞」に偽善的なものを感じられたからなのかと想像しました。「自分に感謝」という言葉が不自然だからこそ話題になったのだと思いますが、その意味は、よく耳にする「自分で自分を褒めてやりたい」に近いのかと思いました。
でも、「自分を褒める」とか「自画自賛」とかいう言葉でなくてよかったと思います。一度「自分を褒める」ことに満足すると、これからの人生の中でも「完璧」を目指しがちになり、自分の設定した目標に届かなければ、あるいは、何かエラーをした時に「自分を叱る」ことになりかねないからです。自罰感情は他罰感情ともセットになりますし、それではせっかくの優秀な能力を存分に発揮できません。

もし私の娘が、優秀な成績で大学を卒業したとしたら、私なら、娘が「自分に感謝」という前に、無事に学業を終えてくれた娘に感謝し、娘が努力を実らせることができた健康、才能、環境に感謝し、それを支えてくれた大学の教授や施設に感謝し、戦争にも災害にも事故にも遭わないで学生生活を送れたことへの感謝を伝えます。神か仏か、ご先祖様か分かりませんが、私にそのような娘を与えてくれた運命に感謝します。
そしてできれば、娘に私の感謝の気持ちを共有してほしいと思います。感謝は分かち合えた時に次の道へと背中を押してくれるものだと伝えたいです。そして、この先、努力や才能に関わらず何らかの躓きに出会ったり試練に出会ったりする時にも、この卒業の時の感謝の気持ちは忘れないし、娘がどんな状態にあろうとも、娘の母でいれることを感謝し続けます。それを絶対に分かってほしい。そして、娘も私のように、どんな状況であろうとも、感謝し、感謝される人間関係の中にい続けてほしい、と思います。
まやさま (森中 定治)
2020-12-07 14:00:30
貴重なコメントを有難うございます。この考え方が、多くの人が蛇蝎のように嫌う新自由主義の原点にあります。つまり人間の自由です。この小堀さんの主張に、堂々と対論を主張できる人を見たことがありません。だから新自由主義を倒すことは難しいし、決して減らないのだと思います。
対論 (まや)
2020-12-08 19:28:54
対論はいろいろな形であると思いますよ。
弱肉強食が人間社会で進化論的に成り立たないのは、人間の子供が長く保護されないと自立できないのとセットになっていると思います。だから、Kさんの主張に彼女に送る「母」の視点で書いてみました。子供がいなくても、最も弱い者、しかも「自立」さえ期待できず、世話する喜びしか与えてくれない猫などのペットを愛している人がたくさんいることも「私に感謝」ではない「謙虚の学校」の存在の根強さを感じます。
文藝春秋12月号に掲載された藤原正彦さんの『亡国の改革至上主義~菅総理よ、「改革」を売り物にするなかれ』のダイジェストを読みましたが、全ての「改革」が経済指標にだけ基づく世界だけを見ている学生も、自分の優秀さが経済世界での権力勾配につながることをよしとしているのでしょうね。若い人たちにこそ哲学や倫理学を学んでほしいのに、「人文科学」が軽視されるのは末恐ろしいです。

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