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ドイツ語の俳人たち:Sabine Balzer(21)

■旧暦1月14日、水曜日、

(写真)良寛の金屏風。漢詩が書かれている。書体は自在で明るい感じ。

日当たりのいい坂の白梅が満開。相変わらずバタバタと生活に追われて日々過ぎていく。少しずつ、「笑い」について調べたり考えたりしているんだが、「笑い」には、グレードがあると思う。下等な笑いから上等な笑い、至高の笑いまで。下等な笑いは、他者を貶める笑いで、笑っている当人の心性がもろに出てしまう。上等な笑いは、自然にこぼれる笑みで、話芸などに受け継がれている。至高の笑いとは自他を救済する笑いである。ところで、出典はわからないのだが、ショーペンハウアー(1788-1860)が次のようなことを言っている。

All unser Übel kommt daher, dass wir nicht allein sein können.
われわれは一人きりではいられないということが惨めさのすべての原因だ。

これには大笑いした。真実はえてして、人を笑わせるものではないだろうか。理性とは論理的になんらかの真理に迫る運動を言うのだとしたら、もともと、理性には「笑い」の要素が含まれていたんじゃないか。今まで、あまりに狭く理性を考えすぎたんじゃないだろうか。

ある英文学者に聞いた笑い話。

アインシュタインとその運転手。

運転手(クルマを運転しながら):先生、先生の話は、もう何十回も聴きましたから、すっかり憶えてしまいましたよ。
アインシュタイン:ほう、そうかね。そりゃいい。今度行く大学は、わたしの顔が知られていないから、どうかね、きみ、一つ、わたしの代わりに講演をやってみんかね。
運転手:面白そうですね。

(講演当日)

運転手:…というわけで、諸君。一般相対性理論は、加速や重力を想定した一般的な状態を扱ったもので、その意味で、特殊相対性理論を拡張したものと言えるわけです。なにか、質問はありますか。

学生:先生、その数式の意味がさっぱりわからないのですが、説明していただけませんか。

運転手:きみ、つまらん質問をするね。それは、初等数学の問題だよ。わたしの運転手でも答えられる。おい、運転手君、きみから説明してあげたまえ。




(Original)
die Hecke am Zaun
wächst blickdicht...nur noch Nachbars
Stimme lässt sie durch



(japanische Fassung)
生垣がみっしり
生い茂って…お隣さんだって
声しか通さない


■生垣を通すのがお隣さんの声だけという視点は面白いと思った。ただ、少し、常識的に過ぎる。たとえば、「お隣さんの声も遠くに」だったら、もっと面白いのではないか。
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