豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

得雲山 神龍寺(豊田市)

2012-06-21 04:50:09 | 散歩

得雲山 神龍寺

所在地  地図をご覧ください。

 

神龍寺への入り口です。
石門の右側に「得雲山 神龍寺」と刻まれています。
奥に鐘楼門があります。

本堂です。

鐘楼門です。

得雲山 神龍寺の解説板です。

ここには、次のように書かれています。

得雲山 神龍寺

 神龍寺は山号を得雲山と称した元禄年中(1688~1703)の頃、了雲竜蔡
が十塚町四丁目(旧大字挙母字船石)に再中興して、平芝町霊岩寺第十二世
高山白隠を招き開山とした。
当寺境内に知足庵という十王塚があった。
(町名十塚町の起こり=旧大字十塚)第十一世充堂大温の時、度重なる水害のた
め、明和二年(1765)七月童子山に移転したが、藩主内藤学文公は新城地を
童子山に定められ、当寺は換地として現在の朝日ヶ丘六町目(旧切戸)を与えら
れ安永十年(1781)再度移転し本堂は新築、庫裏禅堂は改築された。
その後第十二、十三世は再建の後始末に困難し荒廃したので曹洞宗録所静岡
県の可睡斉から天了大澤が来て、第十四世となり復興した。
第十七世梅芳は文久年中(1861~3)から明治元年(1868)まで習字処
を開き第十八世良賢のとき、明治二十六年(1893)豊川稲荷を勧請した。
第十九世宗賢のとき大正九年(1920)に鐘楼門を建立し、昭和十二年(1937)
本堂屋根葺き替えをし諸堂を大体完備した。
その時農繁期の託児所を六月に開設し、以後昭和二十四年(1949)七月保育所
「貴松保育園」を開設した。
ご本尊厳会釈迦牟尼佛で天明三年(1783)二月洞泉第十九世忍誉上人が
自ら比叡山に上り勧請された霊佛であります。
      七州城城下町まちづくり協議会

 


 


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