周道如砥碑が矢作川に沿う道横、森の中にありました。
ここには、次のように書かれています。
周道如砥(しゅうどう とのごとし)
明示十七年に矢作川東岸道(現在の県道細川豊田線)の完工をを記念し建てられたものです。
周道如砥は砥石のように真っ直ぐで平らな道になったという意味です。
この道は水谷街道とも呼ばれ、尾張藩士水谷忠厚の尽力により改修され、
平井村以南は融資の醵金で持って開削されました。
記念碑の裏面に、この経緯が記されています。 山室を愛する会
周道如砥碑が矢作川に沿う道横、森の中にありました。
ここには、次のように書かれています。
周道如砥(しゅうどう とのごとし)
明示十七年に矢作川東岸道(現在の県道細川豊田線)の完工をを記念し建てられたものです。
周道如砥は砥石のように真っ直ぐで平らな道になったという意味です。
この道は水谷街道とも呼ばれ、尾張藩士水谷忠厚の尽力により改修され、
平井村以南は融資の醵金で持って開削されました。
記念碑の裏面に、この経緯が記されています。 山室を愛する会