大きな馬頭観音像
所在地 豊田市足助町内 地図をご覧ください。
地図は此処をクリック
この地図上で、足助バイパスに平行して走る旧道(表示されていません)があります。
その中間あたりに「馬頭観音像」があります。
大きな馬頭観音像です。
解説板には次のように書いてありました。
大きな馬頭観音
中山道の脇街道(物資輸送をはじめ庶民の道)として栄えた伊奈街道は、
中馬による塩の道でもありました。明治も終わりになって馬の背から
馬車にかわると、このような立派な馬頭観音(三面八ぴの典型的な坐像)が
町の入り口に馬車組合の人々によって建てられる様になりました。
足助町文化財保護委員会
芭蕉の句碑がありました。
写真の上部の岩が句碑です。
解説板には次のように書かれています。
芭蕉の句碑
足助の俳人板倉塞馬(さいば)の建立(慶応3年=1867年で23両の
大金を要したといわれております。
当時人馬の往来が盛んであったことを裏付ける句として、
芭蕉の多くの句の中から特にこれが選ばれたことも偶然とはいえないでしょう。
馬おさへ ながむる雪の朝かな
(足助町文化財保護委員会)
馬頭観音堂の横に「清水」が流れ出ていました。
この水を飲用水として汲みに来られる人も居られます。
所在地 豊田市足助町内 地図をご覧ください。
地図は此処をクリック
この地図上で、足助バイパスに平行して走る旧道(表示されていません)があります。
その中間あたりに「馬頭観音像」があります。
大きな馬頭観音像です。
解説板には次のように書いてありました。
大きな馬頭観音
中山道の脇街道(物資輸送をはじめ庶民の道)として栄えた伊奈街道は、
中馬による塩の道でもありました。明治も終わりになって馬の背から
馬車にかわると、このような立派な馬頭観音(三面八ぴの典型的な坐像)が
町の入り口に馬車組合の人々によって建てられる様になりました。
足助町文化財保護委員会
芭蕉の句碑がありました。
写真の上部の岩が句碑です。
解説板には次のように書かれています。
芭蕉の句碑
足助の俳人板倉塞馬(さいば)の建立(慶応3年=1867年で23両の
大金を要したといわれております。
当時人馬の往来が盛んであったことを裏付ける句として、
芭蕉の多くの句の中から特にこれが選ばれたことも偶然とはいえないでしょう。
馬おさへ ながむる雪の朝かな
(足助町文化財保護委員会)
馬頭観音堂の横に「清水」が流れ出ていました。
この水を飲用水として汲みに来られる人も居られます。