枝下用水を歩く
この地方の田畑を潤す水源となっている枝下用水に沿って歩いてみた。
十一月頃からであろうか、用水には全然水は、流れていないが、これが、稲作の準備が
始まる四月下旬頃からは、満々と水をたたえた用水となる。
今、八月、用水は最高の水深で、かなりの速度で流れている。
この枝下用水の起点、終点は何処だろうと考えた。
そこで、ネットで調べてみたがよく解らなかったが、その起源については
次のような一文に出会ったので、紹介しておこう。
枝下用水をつくる工事は明治20 年に始まり、
その後7 年間を費やして明治27 年に主な用水路が完成しました。
枝下用水は、明治10年、当時かんばつに悩む農民達の手により測量が始められ
明治17年には西加茂郡西枝下村の矢作川を水源として一部が開鑿された。
次いで明治20年から西澤真蔵氏らによる大規模な延長工事が行われ、
明治23年に幹線用水と東用水、明治25年に中用水、
明治27年には西用水が通水した。
山野を巡る長大な疏水工事は困難を極め、加えてしばしば洪水や地震に見舞われるなど、
七星霜に亘る辛苦と膨大な費用を費やして農民の永年の夢が叶えられた。
(http://www.inakajin.or.jp/sosui/aichi/a/508/より)
枝下用水の管理組合のようなものが、多分存在しているであろう、そこに尋ねようかと
考えたが、取りあえず、青木団地下を起点に上流まで辿って見ようと考え、実行した。
起点とした青木団地下の橋付近
花本付近 取水口が見える
突き当たりの橋を左に行けば光明寺に至る
平戸橋町内
この奥左に名鉄平戸橋駅がある。
枝下用水を渡る名鉄電車
平戸橋町内 取水口
足助、飯田方面への国道を横切る付近
県道11を潜り抜ける。
加茂園下を流れる枝下用水
上の写真の上方にある幹線記念碑。
多分用水を完成させての碑であろう。
この橋を左に進む長い階段を上ると前田公園へ出る。
枝下用水の起点
起点から下流を見る。
越戸ダムから導水された水が、発電用と用水用とに分水されている。
中部電力越戸発電所への取水口
送電線所
枝下用水を起点まで歩いたが、平戸橋町内の用水に沿って、多数の桜が植えられていて
その時季、桜が咲いたときはすばらしいだろうと思った。
また、県道を横切ってからは桜、楓などの樹木に覆われた道で、気分爽快である。
この用水は豊田市、安城市に供給されているそうだが、
いつの日にか終点まで歩いてみたい。
この地方の田畑を潤す水源となっている枝下用水に沿って歩いてみた。
十一月頃からであろうか、用水には全然水は、流れていないが、これが、稲作の準備が
始まる四月下旬頃からは、満々と水をたたえた用水となる。
今、八月、用水は最高の水深で、かなりの速度で流れている。
この枝下用水の起点、終点は何処だろうと考えた。
そこで、ネットで調べてみたがよく解らなかったが、その起源については
次のような一文に出会ったので、紹介しておこう。
枝下用水をつくる工事は明治20 年に始まり、
その後7 年間を費やして明治27 年に主な用水路が完成しました。
枝下用水は、明治10年、当時かんばつに悩む農民達の手により測量が始められ
明治17年には西加茂郡西枝下村の矢作川を水源として一部が開鑿された。
次いで明治20年から西澤真蔵氏らによる大規模な延長工事が行われ、
明治23年に幹線用水と東用水、明治25年に中用水、
明治27年には西用水が通水した。
山野を巡る長大な疏水工事は困難を極め、加えてしばしば洪水や地震に見舞われるなど、
七星霜に亘る辛苦と膨大な費用を費やして農民の永年の夢が叶えられた。
(http://www.inakajin.or.jp/sosui/aichi/a/508/より)
枝下用水の管理組合のようなものが、多分存在しているであろう、そこに尋ねようかと
考えたが、取りあえず、青木団地下を起点に上流まで辿って見ようと考え、実行した。
起点とした青木団地下の橋付近
花本付近 取水口が見える
突き当たりの橋を左に行けば光明寺に至る
平戸橋町内
この奥左に名鉄平戸橋駅がある。
枝下用水を渡る名鉄電車
平戸橋町内 取水口
足助、飯田方面への国道を横切る付近
県道11を潜り抜ける。
加茂園下を流れる枝下用水
上の写真の上方にある幹線記念碑。
多分用水を完成させての碑であろう。
この橋を左に進む長い階段を上ると前田公園へ出る。
枝下用水の起点
起点から下流を見る。
越戸ダムから導水された水が、発電用と用水用とに分水されている。
中部電力越戸発電所への取水口
送電線所
枝下用水を起点まで歩いたが、平戸橋町内の用水に沿って、多数の桜が植えられていて
その時季、桜が咲いたときはすばらしいだろうと思った。
また、県道を横切ってからは桜、楓などの樹木に覆われた道で、気分爽快である。
この用水は豊田市、安城市に供給されているそうだが、
いつの日にか終点まで歩いてみたい。