中学二年の夏。
私は生まれて初めての一人旅をした。
行き先は田舎で、夜行列車「急行 瀬戸」だか「急行 銀河」だかに乗り、翌朝は姫路駅のホームで孫を背負った祖母に迎えられた。
祖母の末っ子は私と同い年のため叔父と甥っ子というかた苦しい関係もなく、姫路城などを案内してくれた。
また、私が田舎にいることを知った大阪の叔父が大文字送り火を見に連れて行ってくれた。
それも姫路から大阪に汽車で着くと、今度はタクシーを飛ばして奥さんの実家近くの西陣まで行き、子供ながらに贅沢なことをするもんだと思ったものだ。
送り火の意味も知らず、山に篝火がたかれている姿に感動したことを覚えている。
叔父の奥さんはとにかく綺麗な人で、これが京美人なのかと思わされる女性だった。
私が田舎へ行く前、教育実習生としてきてたHS先生。
この人が私を男として初めて自覚させてくれた女性だったが、叔父の奥さんは2人目だった。
私は大阪は淀川べりのマンションの叔父のところから、
1人で奈良に行ったり、父方の親類の従兄弟と京都へ行ったりして、日がな観光旅行気分だった。
今なら真夏の京都や奈良など、ただでも行きたくないが、14才という若さは暑さもなんのその、しかも神社仏閣を見てまわるのに勤しんだものだ。
そして最後はHS先生が宝塚はいいところだというので、そこにも1人で行った。
宝塚劇団に興味があるわけでもなく、宝塚遊園地でアトラクションに乗るわけでもなく、
ただHS先生がいいわよといってくれた一言に誘発されて行ったが、
案の定、一人の私にはつまらないものだった。
東京に帰宅すると、そのHS先生から暑中見舞いが届いていた。
南軽井沢のレイクニュータウンでアルバイトをしてるとのことだった。
そこには中学を卒業する際の春に行き、レディーボーデンなるものを初めて口にし、これが本当のアイスクリームだと感動したことを今でも覚えている。
さて、翌年の夏。
任意での林間学校なるものが武尊と尾瀬で行われることとなった。
私の家庭環境は母子家庭のようなものだったので、経済的にはいつも逼迫しているようだった。
前年の夏は田舎に行ったこともあり、この夏は近所の高校生に混ざって郵便局でのアルバイトに精を出していた。
本来は中学生のアルバイトは禁じられていたが、局長の粋な計らいだった。
武尊と尾瀬で、皆は何をしてるんだろうか?
憧憬の思いで郵便物の仕分けをしたり、自転車で配達にも出た夏だった。
それから幾星霜。
夏がくる度に尾瀬に行ってみたい。
その思いは強まるが、お金があるときは忙しく、暇があるときはお金がないという悪循環。
ようやくその夢を果たしたのは、実に22年後のことだった。
それは群馬県の沼田から片品村をマイカーで抜け、山麓の大清水~三平峠~尾瀬沼というルートです。
下の3枚の画像はカシミールという山岳展望用のソフトを利用したものですが、ルートの概念を理解いただけるものと思います。
22年来の夢といえば大袈裟ですが、その前年から再三やめていた登山を始めていたので、足取り軽くと行きたいところでしたが、ドライブ疲れと寝不足。それに残雪との戦いで決して楽な山行ではありませんでした。
断面図では分かりづらいんですが、三平峠への取っ掛かりから勾配もきつくなり、そのうえ腰ちかくまでの残雪ですから、尾瀬といえども山開きの6月は結構ハードなものでした。
それでも、初めての尾瀬ということで張り切って登りましたね。
あいにくの空模様でたいして写真も撮れず、早々に山小屋に入りました。
憧れ続けたそんな初めての尾瀬。
山小屋にはそれ以前にも泊まったことはありましたが、
長蔵小屋の風呂は綺麗だし食事はファミレスのようで、これが山小屋?と思わされましたね。
この後も何回か尾瀬に行きましたが、行く度に中学生当時の思いは裏切られることなく、いろんな意味で私を満足させてくれました。
夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧の中に浮かびくる やさしい影 野の小道
私は生まれて初めての一人旅をした。
行き先は田舎で、夜行列車「急行 瀬戸」だか「急行 銀河」だかに乗り、翌朝は姫路駅のホームで孫を背負った祖母に迎えられた。
祖母の末っ子は私と同い年のため叔父と甥っ子というかた苦しい関係もなく、姫路城などを案内してくれた。
また、私が田舎にいることを知った大阪の叔父が大文字送り火を見に連れて行ってくれた。
それも姫路から大阪に汽車で着くと、今度はタクシーを飛ばして奥さんの実家近くの西陣まで行き、子供ながらに贅沢なことをするもんだと思ったものだ。
送り火の意味も知らず、山に篝火がたかれている姿に感動したことを覚えている。
叔父の奥さんはとにかく綺麗な人で、これが京美人なのかと思わされる女性だった。
私が田舎へ行く前、教育実習生としてきてたHS先生。
この人が私を男として初めて自覚させてくれた女性だったが、叔父の奥さんは2人目だった。
私は大阪は淀川べりのマンションの叔父のところから、
1人で奈良に行ったり、父方の親類の従兄弟と京都へ行ったりして、日がな観光旅行気分だった。
今なら真夏の京都や奈良など、ただでも行きたくないが、14才という若さは暑さもなんのその、しかも神社仏閣を見てまわるのに勤しんだものだ。
そして最後はHS先生が宝塚はいいところだというので、そこにも1人で行った。
宝塚劇団に興味があるわけでもなく、宝塚遊園地でアトラクションに乗るわけでもなく、
ただHS先生がいいわよといってくれた一言に誘発されて行ったが、
案の定、一人の私にはつまらないものだった。
東京に帰宅すると、そのHS先生から暑中見舞いが届いていた。
南軽井沢のレイクニュータウンでアルバイトをしてるとのことだった。
そこには中学を卒業する際の春に行き、レディーボーデンなるものを初めて口にし、これが本当のアイスクリームだと感動したことを今でも覚えている。
さて、翌年の夏。
任意での林間学校なるものが武尊と尾瀬で行われることとなった。
私の家庭環境は母子家庭のようなものだったので、経済的にはいつも逼迫しているようだった。
前年の夏は田舎に行ったこともあり、この夏は近所の高校生に混ざって郵便局でのアルバイトに精を出していた。
本来は中学生のアルバイトは禁じられていたが、局長の粋な計らいだった。
武尊と尾瀬で、皆は何をしてるんだろうか?
憧憬の思いで郵便物の仕分けをしたり、自転車で配達にも出た夏だった。
それから幾星霜。
夏がくる度に尾瀬に行ってみたい。
その思いは強まるが、お金があるときは忙しく、暇があるときはお金がないという悪循環。
ようやくその夢を果たしたのは、実に22年後のことだった。
それは群馬県の沼田から片品村をマイカーで抜け、山麓の大清水~三平峠~尾瀬沼というルートです。
下の3枚の画像はカシミールという山岳展望用のソフトを利用したものですが、ルートの概念を理解いただけるものと思います。
22年来の夢といえば大袈裟ですが、その前年から再三やめていた登山を始めていたので、足取り軽くと行きたいところでしたが、ドライブ疲れと寝不足。それに残雪との戦いで決して楽な山行ではありませんでした。
断面図では分かりづらいんですが、三平峠への取っ掛かりから勾配もきつくなり、そのうえ腰ちかくまでの残雪ですから、尾瀬といえども山開きの6月は結構ハードなものでした。
それでも、初めての尾瀬ということで張り切って登りましたね。
あいにくの空模様でたいして写真も撮れず、早々に山小屋に入りました。
憧れ続けたそんな初めての尾瀬。
山小屋にはそれ以前にも泊まったことはありましたが、
長蔵小屋の風呂は綺麗だし食事はファミレスのようで、これが山小屋?と思わされましたね。
この後も何回か尾瀬に行きましたが、行く度に中学生当時の思いは裏切られることなく、いろんな意味で私を満足させてくれました。
夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧の中に浮かびくる やさしい影 野の小道
水芭蕉の花が 咲いている |
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夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 野の旅よ |