狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

デラシネの如く哲学無く軽佻浮薄に漂う未熟な世間へ・・・「清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ」を読む

2016-05-08 08:01:30 | 世間・空気
 「清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ」(著者:阿久悠氏、出版社:新潮社、出版日:2007/10/20)を読んだ。
 作詞家である著者の巧みな言葉の数々を用いて、現代の日本の世間の風潮や雰囲気を憂い厭いながら、アフォリズム(警句、格言、箴言)を唱えている。
 2004年(平成16年)3月7日・4月3日~2007年(平成19年)6月9日に保守派の産経新聞に掲載・連載されたものをまとめた単行本であるが、当時の国政は、小泉純一郎内閣と、その後の2006年(平成18年)9月26日~2007年(平成19年)9月26日の第1次安倍晋三内閣であった。小泉首相(当時)はポピュリズムを利用して高支持率を維持して長期に政権を執ったが、逆に安倍首相(当時)は「戦後レジーム脱却」や「美しい国へ」を掲げての、官僚・マスコミ・世間と闘いながら、数々の改革を、志半ばで辞任するまでの約1年の間に断行した。著者は、その安倍首相の掲げていた「美しい国」に賛同し、安倍首相を応援していた様に読み取れる。そしてその著者も、安倍首相が辞任する直前の8月1日に逝去された。
 アメリカナイズされての「戦後民主主義の催眠術」にかかり、個人の権利ばかりを主張して自由に制約をかける事無く、節度を超越し、義務や責任をなおざりにし、道徳秩序は乱れ、迷惑を気に留めず、長い歴史の上に培ってきた伝統や文化が廃れる傾向に在る。
 世は欲望の対象となるものに依存して遊蕩に耽り、勤勉、汗を伴う労働、思想、創作が軽視される趨勢に在る。名誉欲、他人、メール、LINE等に依存し、自立出来ず、自助の努力を怠り、共助・公助にすがって甘えている。
 「デラシネ」(根無し草)の様に、若者をはじめとして自分の内に確固たる土台を築かず、マスコミ、周囲の空気・風潮に安易に煽り乗せられて漂流して自分を見失っている
 年齢を重ねる事、性体験、結婚と子の所有、特に欲望対象の社会的経験等を判断基準にしての大人の履き違えをして、精神的には未熟な子供のままの成人たち。その未熟な精神で子供を躾ける親たち。
 また、一時凌ぎ、その場凌ぎで対症療法を繰り返すのみで、一瞬一瞬の快楽、瞬間的な結果さえ良ければそれで良いとして根本的解決を図らず、根本原因や経緯・過程を軽んじて論理的思考・思索が出来ない。
 クリーンなイメージでさえあれば良しとし、偽善を認め、その潔癖主義から失敗・汚点からの再起を不能とするレッテルを貼る。それ故最初から失敗する事を恐れて挑戦する事を憚り、異端扱いされて叩かれる事を恐れて行動せず口にもしない。一見すると無駄に見える事、失敗、遠回りにこそ高い値打ちが有る。失敗して痛みを知る事で、理解が深まる
 世間一般的多数派の人達は、皆同じような価値観を持ち、同じように考え、同じように判断し、同じような事を口にし行っている。同じレベル・次元にして、同じような物差し・基準を持っている為に気付き難く、空気・雰囲気に流される。しかし、その流行は消えて無くなる。流される事は無常であり、空虚、虚無となるその空虚感、虚無感に精神が陥らない様にと、その都度その都度、際限なく一時凌ぎ、一瞬の暇つぶしを行っている。
 気付きが無いのは、悪い意味での鈍感である。本当の鈍感力は敏感であり、気付いても自分の内で情報処理して不要・低俗なるものを捨て、それらに動かされない太い精神・心を持つ
 その世間の趨勢・傾向・流行に抗う様にして、私は天の邪鬼であり、ひねくれ者であり、へそ曲がりであり、偏屈である。そして、世間を客観視してそこに埋没せずに、群れから離れて単独者として存在し、境界線を引いて身を引き避けている。

 以下、本書より引用する。
 「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」より、「ぼくたちはいつの頃か、…(中略)…背負わされたのは、『無』である。無関心、無感動、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。」。
 「無責任な拍手喝采よりも 無言の反応に価値ありと信じて 堂々と歩いてほしい」より、「人間は面白いだけでも、軽妙なだけでもなく、寡黙で近寄り難くても、心に響く言葉を持ち、独特の美意識を備えた人もいるのである。その人は本当に嬉しくないと笑わないし、サルのように手も打たないが、寄るとあたたかいし、語ると深いのである。」。
 「若者はほっといても若者だが 大人は努力なしでは 大人になれない」より、「もう一段上の哲学をまぶさなければ」、「大人の世界に価値観もマーケットもないのである。今、文化に関わろうとする人は誰も、幼稚を競い合う。」、「かくして、日本は、若者のための若者による若者文化の社会になり、誰も大人になろうとしない奇っ怪な価値観の国になっている。大人よ!」。
 「マジメでオトナシイとは その子のことを何も 見ていなかったということだ」
 「たまには本を読む姿を 子どもたちに見せるだけで 家族の半分は固まる」より、「父や母がダレた姿を見苦しい振る舞いを見せないことである。そして、教養に対して謙虚に向き合っている姿を見せつづけることである。インテリジェンスの欠落の不安を、子供たちに与えないようにする。」、「いい姿で、深い本を読む。没頭する。」。
 「親にうしろ姿がないのだから 見て育つにも 育ちようがないじゃないか」より、「ファミリーで行動を始めた途端に、ゴミをバラ撒き、立て札を引き抜き、マナーを踏みにじり、言葉つきまで下品になる」。
 「すると老いた老人は、日本人はね、他人の目だけが恐くて神が恐くない不思議な民族でね。他人が見ていなければ、どんなハレンチでも平気でやる。だから…(中略)…何から何まで決まりごとにしなければならなかったのだ。そうだろう。その証拠に自由を覚えたとたんに、ハレンチし放題じゃないか。そうだろう。』」。

 「時代おくれ」(作詞: 阿久悠氏)より
 「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことはむりをせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい」
 「ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず」

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  ・2013/06/28付:「『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の再読(3)・・・三島由紀夫氏の『憂国』と自決直前の『檄』」
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  ・2016/04/17付:「有名人の覚醒剤使用と世間の人達の欲望への依存は同じ・・・際限ない一時凌ぎ・暇つぶしからの自立の必要性」

 関連動画
 

YouTube:河島英五:時代おくれ
 
 参考文献
「清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ(著者:阿久悠氏、出版社:新潮社、出版日:2007/10/20)
「清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ(著者:阿久悠氏、出版社:新潮社、出版日:2007/10/20)

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