deep forest

師範の私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

8・上京

2017-03-15 17:00:16 | Weblog
 マンガ家になるために、上京する。そんな筋書きは、考えたこともなかった。しかし、なんて心踊る話だろう。マンガ家になりたいかどうか、はさておき、これでこの田舎での停滞状態から逃れることができる。オレの興奮は、未来へ向かうことよりも、現在を過去にできることの方に向いている。躊躇などない。受話器を置いた途端に、学校にあてて辞表を書いていた。
「一身上の都合により・・・」
 高校教師が、二学期を前に職を辞するとはけしからん話だが、校長はあっさりと了承してくれた。さすがはバブルの時代だ。軽薄で、大らかで、頓着というものがない。代理の教師もたちまち見つかった。とんとん拍子だ。夏休みが明けて、一週間だけ挨拶のために登校し、担任の引き継ぎをする。
「おまえらがオレに大声張り上げさすから、のどにガンができたのだ・・・」
 治療のために、やめねばならんのだ・・・と、生徒たちの前でのうのうと嘘をつく。ところが、やつらはしょげ返るかと思いきや、別に、へー、という素っ気なさだ。おかしいな、オレ、たしか人気教師だったはずだよな・・・そして後任の女性教師を紹介すると、生徒たちは、わーい、オンナだ、と大喜びしはじめる。結構なおばはんなのだが、おちちがふくらんでさえいればいいらしい。まったく男子校とは哀れなものだ。涙を禁じ得ない。ま、後はよろしくやってくれ。
 同様に、学習塾の予習地獄からもおさらばし、晴れて自由の身だ。思えば、しがらみだらけの毎日だった。子供たちに対する責任感にがんじがらめにされ、自分が自分でなくなっていた。こんなカイシャインみたいな仕事は、二度とやるまい。これからはどこにも属さない人生を生きるのだ。悪魔の館も引き払い、生涯七度目の引っ越しに取り掛かる。いざ、都へと。
 東京には、学生時代にちょこちょこと遊びにいっていた。武蔵美には高校の同級生が何人も入っていて、例の米軍ハウスでも、未来の世界的デザイナー氏たちに世話になった。多摩美にはキシが三浪ばかりした末にようやく潜り込んでいて、なぜかボクシング部のリングでどつき合いまでした。東京芸大のある上野公園では、よく野宿をして、園内にある美術館をめぐり歩いた。そして日芸のある練馬区の江古田には、彫刻展への出展のお願いに日参したものだ。
「江古田の雰囲気がいいな、なんとなく・・・」
 西武池袋線の江古田は、武蔵野音大、武蔵大、そして日大芸術学部がごちゃごちゃと固まった学生街で、ざっくばらんな飲み屋も多く、下町チックな人情味あふれる商店街があり、なのに池袋から三つ目という、田舎すぎない感じがいい。のちに気づくことだが、ひとつふたつ向こうの駅には、かの有名な「トキワ荘」がある。そのせいだからか、マンガ家も数多く住んでいるようだ。この地に導かれたのは、偶然ではない気がする。不動産屋をまわり、目につくかぎりでいちばん格安だった2万6千円という、6畳一間、風呂なし、トイレ共同のアパートに決めた。
 後日、引越しをすませ、「編集のひと」に挨拶にいく。神保町の小学館ビルは、まさに天空に反り立つ威容を誇るイカツさだ。なんの工夫もない四角四面の箱型なのが、かえって堂々として見える。一階受付で入館書類を書き、きれいなお姉さんに渡すと、上階の編集部にいくように促される。エレベーターで運ばれていくときの周囲の同乗者は、見るからに業界のヒトビトだ。6階に着き、広大なフロア内で「スピリッツ編集部」を探す。どのブースもデスクがごちゃごちゃに入り乱れ、どのデスク上も原稿や書籍がごちゃごちゃに置かれ、そんな雑然とした風景の中を、ギョーカイジンたちが忙しく行き交っている。人いきれに、インクの匂いとタバコ臭。その中央に、目的の人物がいた。座った回転椅子が、くるりと翻る。
「やあっ。みきですっ、よろしくっ」
 歯切れのいい話し方をする、いくつか年上のこの若者が、どうやらオレの担当編集者のようだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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