泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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東西のvolvelle(2)-古・星座早見盤(ii) 長久保赤水の「天象管窺鈔」1774年 完

2012-01-09 20:56:45 | 和の天文

 長久保赤水 Nagakubo Sekisui(1717~1801)は地理学者としていわゆる「赤水図」と呼ばれる江戸後期の民間には最も広まった日本地図「改正日本輿地路程全図」を作成したことで知られています.江戸の天文と地誌の二領域に跨る研究対象として,赤水には大いなる感心と敬意を持っています.彼の製作した赤水図や「唐土歴代州郡沿革地図」という日本最古の歴史地図帳については,後日またご紹介しましょう.
 さて,この携帯型回転式星図「天象管キ鈔」 (版心の書名は「天文管窺」,キは正しくは規に門構え,&H95DA,このブログでは表示できないらしい)は赤水図出版に先立つ安永3[1774]年,京都書肆の左々木総四郎が,大坂の浅野弥兵衛らと共同で刊行しました.浅野弥兵衛は当時から地図の出版を得意とし,安永8年赤水の「改正日本輿地路程全図」初版刊行から寛政3年の改版において中心的役割を果たし,その後も長く同地図を刊行し続けた板元です.
 タイトルの意図するところは,「天文現象に関する簡略な解説」ほどの意味ですが,赤水がこの星図早見のようなものを,どこから発想を得て何のために作ったかは謎に包まれているそうです.ただ,多数の星座の省略と一部の星座図像の形態に差はあるものの,天の北極を中心として黄道・赤道や銀河の描き方,後述するような外周に白黒の目盛を刻むのは朝鮮で李朝の宣祖四年(1571)に刊行された木版印刷本「天象列次分野之図」に原点があり,その特徴を受け継ぐ1677年に刊行された渋川春海の「天文分野之図」とは,これらに加えて経度幅の数値記載がある点も含めて極めて類似しており,後者を参照したのは明らかでしょう.

 今回,この星図を二点,別々の書店から入手したので,その内容を下記文献を参考に私見を含めて解説してみます.ただし,小生は中国由来の古星図については門外漢でした.初学者の意見としてお読みください.

左:A                            右:B
A:11.1x15.6cm 星図写真などは下記に掲載. 本文などに少虫食い

B:10.9x15.7cm 海老原庄助 旧蔵(両見返しに署名) こちらは虫喰いは無いが,題箋の一部が欠けている.構成は同一.星図の彩色はAと異なっていて,赤道が黒,星座群の一部が赤に塗られている.空の青の縁が銀河に懸かるところはAとは同一ではなく,いずれも手彩色であることから,後から購入者が塗っていた可能性を示しているのかもしれない.Aと殆ど刷りの良悪に差は無く,どちらが後刷りかは定かではない.赤く塗られた星座の区分については未解決(二十八宿でもなく,「天文成象」のように魏の石申の制定を赤としているのでもない).


B.の星座盤



B.の全編

1.構成について 前後の表紙を除き,全11丁+覆いの一枚
・北禅竺常による序「天不自天地不自地待人而後備人之在三才豈不*哉赤水氏仰視俯察能盡其*此難出其緒餘亦足以寸窺化運矣可謂盡学者不浅近與余相識一日袖見眎為題其首還之 安永甲午冬十月」(*は漢字が小生に読めない/漢字コード化されていないもの,漢文に触れるのは数十年ぶりなので,誤りなどあればご教示ください)
・星座盤の窓付き覆い頁,裏は白紙
・太糸で固定された星座盤の頁,その裏に掲載されている中国星座の一覧表の頁,すなわち「紫微垣界」(紫微垣[しびえん]とは、こぐま座を主とする星座群で天帝の居所とされた中国星座)と黄道二十八宿(全天を28に区分し,それを代表的な星座で表し,他の星々をこれに従属させる考え方)の表である.

Aの星座一覧表 箕の脇に記載があるのは右東方七宿

・「天象管キ鈔」と題し,星座盤の見方や太陽・星の運行についての解説17頁(9丁) 末尾は「安永甲午之秋書浪華寓舎 常州水戸 長玄珠子玉」とあるので,赤水がこれを大阪で製作したことが分かります.赤水が上方に出たのは明和4(1767)年の「長崎行役日記」が有名ですが,安永3年2月から4年5月まで上方へ旅行し,京都・大坂に滞在したという記録が残っているのでこれと符合します.さらに赤水はそこで木村蒹葭堂を訪問した記録が残っている*ので,あくまでも仮説ですが,7年前の長崎か製作直前の蒹葭堂のところで西洋のvolvelle付星図を見たのかもしれません.
・奥付 刊記 「安永三年歳次甲午冬十一月発行 浪華 北田清左衛門・鳴井正二郎・浅野弥兵衛 平安 左々木総四郎 

2.星座盤について
 星座盤の直径は10.9cm 銀河を白抜きとし,周囲の空は青の手彩色,星々は黒か白の円で描かれていて,等級別の差はない.描かれているのは星は3/4等星以上であろうか? 黒く塗られた星は主として銀河と重なる黄道内の星ですが,この分類方法も調査中です.


Aの星座盤

・東洋の標準星図に準じて,3つの同心円(いわゆる赤緯線)と黄道の偏心円を基本とし,同心円の中心は天の北極で,円は内側から内規(上規)・赤道・外規(下規)と呼ばれる.内規は常顕圏(通年通夜見える周極星部分)を示し,外規は常隠圏(常に地平線下で見えない部分)を示している.
・赤経については,星図の外側には360°にわたって1度ずつ白黒に塗り分けられた目盛りが描かれ,内規から外規までは二十八宿の境界線が引かれ,各々に呼応する28の不等分割部の占める経度間隔を「十五度強、九度弱、…」といった具合に外周に記載している(西方白虎に属する觜宿は東西経度幅が狭いので参宿と併せて「十一度強」と書かれている)
・そこに描かれる星座は中国星座(三国時代以降283官・1465星とされ,明代末にイエズス会宣教師によって南天星座が紹介されて星数は増加した)のごく一部のみで,保井春海の作成した61星座は全く含まれない
・星図に挙げてある星座名は全て前述の一覧表に記載されている.内規の内側でみると,紫微垣(天極星を囲む禁城)に,北辰・帝・太子(北極五星の一部)のほか,勾陳,北斗,文昌,天鈎,天棓,王良,造父があり,そのほかは紫微十五星(東藩8星と西藩7星のことだが星座名の記載はない)で総括されている 黄道の北方から内規までには,大微垣(帝坐[デネボラ]を囲む庭)に「大微十星」,天市垣(帝坐[ラス・アルゲティ]を囲む市場)に「天市廿二星」とのみ記載しており,白道上にある二十八宿は,
東方蒼龍7宿:角 亢 氐 房 心 尾 箕
南方朱雀7宿:斗 牛 女 虚 危 室 壁
西方白虎7宿:奎 婁 胃 昴 畢 觜 參
北方玄武7宿:井 鬼 柳 星 張 翼 軫
であるが,本図では觜は書かれていない(一覧表には右から左へ記載).一般的見解に対し,北と南が入れ替わっているのは誤りだが,赤水は「四書引蒙略図解」や「天文図解」を所有していた筈なので,ケアレスミスなのだろうか.
 その他に記載のある星座は
・亢の北-大角 [揺光はベネトナシュ,ひしゃくの先端の星] 氐の北-貫索 房の北-七公 尾の北-帝坐[ラス・アルゲティ]・斗
・斗の北-織女・河鼓・建 女の北-天津 虚の北-車府 危の北-騰トウ]蛇・(繢)/南-北落師門 室の南-塁壁陣[図では陳になっている] 壁の南-土司空
・奎の北-閣道・(天)将軍/南-天倉 婁の南-天囷 胃の北-大陵・巻舌/南-天苑 畢の北-五車・諸王/南-(参)旂 參の南-玉井・屏・厠
・井の北-北河・五諸侯/南-南河・狼・弧・野雞 星の北-三台・軒轅 翼の北-帝坐[デネボラ] 軫の北-郎

・黄道・赤道は円形の二重線に囲まれた太い色線(黄道は黄,赤道は赤)で示され,黄道上にある12個の枠付き文字「正中…十二中」は,毎月(中気で)の太陽の位置(節気の「正月中…十二月中」)である
・上の窓は楕円形ではなくて正円で直径7.7cm,縁に南北と方位の十二支が書かれている.当然ながら,窓から見える星図の範囲が実際の地平線上に見える星空である

 これを星座早見として使用するためには,円盤と窓枠の相互に月日と時刻の目盛りが必要で,基本的にはこれがないと早見になり得ません.そこで赤水の解説文を現代語に約してみました.[内]は小生の註です.

・天文学は学問を始める者が急いで学ばなければならないものではないが,書経では中星[南中線上の天体]によって四時[四季]を正しく知ることが出来るとあるし,春秋では春王正月[周王朝暦で春の最も早い月,ここでは正月と一致]から公文書は始まる*.天文の大意概略[以下,「意」と記載されている]を知らなければ聖人が制作した本当の意味を理解することは困難である.初学者だからといってその大意を使わなくていいということはないだろう.
・天文の七政[政は星に通じる]である日・月・五星[=火・水・木・金・土星]の運行には,遅速や順行逆行がある.太陽や月の食に至っては,推移は細密で,春秋の孔子の時代でもその計算で予測する方法は無かったと思われる.暦学に至っては天官という専門職があるぐらいだから,初学者が学ばなければならぬものではない.
・人は天空の中央にあって,地上から昼夜七政の運行を仰ぎ見る.「意」を用いれば天文現象を見習うことは難しくない.二十八舎として経度の定まった経星(二十八宿と本図に掲載された星々のことで経星と云い,七政を緯星と云う[二行を枠に入れているのは注釈らしい])を認識できれば,七政の運行,通過経路は目に明らかである.それ故,暦術を知らなくても六経天文の注解によって半ば理解できよう.それに対し,天文は高く遠いところの微妙な出来事なので初学者が知るべきことではないと全て棚上げして,「意」を用いないで,日頃から天を仰ぎ見て星一つの名さえ分からないというのは,正しいことではないだろう.
・古人は天体現象を説明するのに渾天儀や天球[儀]等を制作したが,これらは急ぎの用途には不便であるし,天象総図[天球図・星図]もあるが,その都度の向き,星の出没,見えている星空の範囲が分けられているわけではないので,分かり難い.天体は半分は地平の上に見え,半分は地平の下に隠れている.したがって,一時に見えるのは天体の半分である.そこで,渾天儀になぞらえて小さな図面を作ってみた.星図の上に蓋いを設けて円空の窓をつくり地上の半天の天体を現し,地下の半天は隠れて見えない様にした.時間に従って回転させれば三垣(紫微垣・大微垣・天市垣)と二十八舎の出没,中星(見える半天の東西の真中の筋の天体のことで,例えば,その節気その時刻の中星はなになに,と云う)の方位は[手のひらを指すように]簡単に分かる.黄道には黒点のしるしをしてかたわらに十二の月の中節を記し,その時日にある黄道上の太陽の位置を知ることが出来る.その時刻に従って運用する[時刻を合わせる]方法については,たとえば11月の中頃なら,黄道上の十一中と記した黒点に太陽が位置し,朝なら辰[東南東]の方角に出て(この図はもともと渾天儀を簡略化したもので,卵のような丸い形を無理に平面図にしたので太陽の出入りの方角はやや違っている.それ故,天体も赤道より南にあるものは大きくなっている.丸く膨らんだものが平らになっていると想像しながら見る工夫が必要である),昼は午[南]に南中し,夕暮時は申[西南西]に入る.そのように,黒点が太陽の位置だとして使用して欲しい.月初・月末には暦の節に従い,その前後は按配して太陽の位置を知ると良い.あるいは5月の中頃なら,太陽は参宿にあり,朝なら寅[東北東]の方角に出て,昼は午[南]に南中し,夕暮時は戌[西北西]に入る.2月や8月の中頃なら太陽は黄道・赤道の交点に来るが,これを赤道を行**といい,2月は室宿,8月は翼宿に位置する.その他の月についてもこれらに準ずる.夜の場合は,北斗に従って時刻を考えるとよく,俗諺にいうように,時の数字を4で割って月の数に当たる方位に***北斗の揺光(ハダンノケンサキ)を向けて回せばその時刻の天体は明らかである.これによって三垣・二十八の経星を知れば,月,歳星[木星],ケイ惑[火星 ケイは蛍の虫が火],填星[土星],大白[金星],辰星[水星],彗星などの位置は自然と確認できる.
・この図は上を覆って天に向け仰ぎ見るように使う.天の北,図の中心となる要が北辰(北極とも云う)で,動くことはない.衆星[星々]はここを中心に回る.北極の対極は南極というが,日本では地に隠れて見えない.その中間を赤道といい,天の帯である.赤道と斜めに交叉する太陽の道があり,これを黄道という.太陽は日々この道筋を西から東へと少しずつ運行するが,これを右旋と云う.二十八舎は日月と五星を宿しながら東から出て西に沈み,一昼夜で一周するが,これを天の左旋と云う.(この旋については古来,右旋をひき臼の縁に蟻が這い廻るのに譬える.臼の回るのが左旋ではなはだ速く,蟻が進むのは右旋で遅い.蟻が右に回るのはそれなりだが,臼は左へ速く回る.それ故,右旋する蟻も外部からは一緒に左旋しているように見える.これによって,天空一周が365度余のところを,太陽は一昼夜に一回動き,月は十三度余を動き,太陽と月は近づいたり遠のいたりしているので,晦・朔[新月]・弦[半月]・望[満月]となる.太陽は四つの時節[季節]によって北に寄ったり南に寄ったりし,昼夜の長さも変わり,四季の寒暖の変化に至る.図の黄道・赤道の様子を見て予め概略を把握しておくとよい)
日月の行道には,簡略化した平行と,詳細に計測する実行とがあるが,ここでは平行の概略を示して初学者の経籍を読む助けとした.もし精密詳細な実行が必要になればそれは書物に載っているので,ここでは割愛する.

*・**・***のところは理解できていません.ただ,記載されている内容はまとめると以下のようになります.
・天文学は学問を志すものにとってたしなみ程度の知識は最低でも必要であるし,それは古の経書にも書かれている.
・二十八宿を認識すれば,天体の運行を把握しやすいので,その助けとして渾天儀を平面に移して携帯用の星図を作った.
・天体の運行について小学校で学習する程度の解説.詳細は略しますが,当時の円周はいまの1年と同じ365度と考えられていたのは意外な気もします.
・星座盤の使用方法については見上げるように持って方角を見定めた上で,昼は太陽の位置を月毎の黄道上の標を参考に合わせ,夜は北斗の柄杓を参考にする

 コメントに玉青様が書いてくださったように,不完全ではあるが江戸中期末に制作された日本初の星座早見盤と考えるのが妥当ですね.
赤水の天体に関する興味はその後も衰えず,渋川の「天文成象」の図に忠実に,彼はその方形星図を寛政8年に書写しています(宮島,p.594).



閑話休題....

 現存する天象管闚鈔は刊本は国書総目録では静嘉,東博,学士院,九大,教大,東大,東北大,東北大狩野,名大皇学,明大,井本,乾々,天理,天理古義堂,無窮神習,礫川,渡辺敏夫,岡山大池田;(国会図書館新城文庫に天保10年写本).日本古典籍総合目録には11~12x16cmの刊本が,茨城県歴史・横浜市大三枝・同鮎澤・金沢図村松・住吉大社御文庫・金光図神徳・津市図稲垣・大阪歴博羽間にもあり.高萩市歴史民族資料館やフランスの某図書館にも保管されているらしいとのこと.また,最近の市場の取引においてさらに2点ほどの存在が知られているので,刊本の伝承は30余点以上,私蔵品などがどの程度存在するかは不明だが,おそらく50点程度,あるいはそれ以上かもしれない.
 その画像は当館所蔵品のほか,早稲田大学図書館,大阪市立科学館(下記),ゴールデン佐渡(異版,下記報告書)の各所蔵品の画像がサイトで確認できる.表紙の灰緑青色が薄目と濃目の二種類あるようにも感じるが,単に保存状態の差によるだけかもしれない.
 





 ゴールデン佐渡所蔵の石井夏海Natsumi・文海Bunkai(親子で19世紀前半の佐渡奉行おかかえ絵師,夏海は江戸で蘭学を学び,司馬江漢に師事した.さらに地図の制作については新発田収蔵が彼らに師事したことも知られている)の資料に異板の天象管キ鈔があり,15x19cmとやや大きく,頁ごとの太枠がない.二十八宿の表においても,例えば角や氐など多くの字体が異なる.それ以外,内容は星座盤についても直径11cmも含めて同一.木刷版11頁で「天象管キ鈔」解説は7頁(朱書きあり)とのことでこの部分は構成が異なるのかもしれない.




 また,赤水没後に製作された同一内容の版である「天文星象図解」という刊本があるが,これは文政7年藤原武真蔵版とあるが,恐らく後に江戸の菊屋幸三郎の所蔵板として,京都・大坂・江戸の12書肆が刊行したものである.体裁が変更され縦長だが18cmと小本で(星座盤は11cmと同じ),銀河を除く星空は青の印刷となっていて,続く二十八宿の表中にその星座図が書き加えられているという点だけ異なる.北方と南方の七宿も入れ替わったままである.この例としては国立天文台蔵本早稲田大学図書館蔵本を挙げておく.

 さらに,「天文星象図」という作者不明の星図が存在し,渡辺氏によって出版された萱原氏旧蔵の「天文星象図」には長玄珠先生稿?」と題箋に書いてあったらしい.また,「天文星象図鑑」と題された72x72cmの畳まれた京都大学所蔵版(おそらく刊本)については,天の北極を中心に描かれ,内規の外側は28の不等分割の線があり,1度の白黒目盛りで囲まれ,赤道・黄道が二重線で表されていることが共通しているが,星数はより多く色分けされており,黄道上の節気を示す枠付き文字もなく,最外側に二十八宿名と方位が丸で囲まれて記載されている点が異なる.宮島氏は赤水作と考えておられる(下記pp.594-5)が,結局,彫り込まれた字体の差異の有無や題箋の表記の信憑性についての再検討が必要と思われ,後世に「天象管キ鈔」や没後版の「天文星象図解」から発想を得た第三者の製作でないと断定することは出来ないのかも知れない.
 国立天文台の「天文星象図解」刊本には折りたたまれた「天文星象図」が添付されているとのことで,下記に掲載します.同サイトには「この図の理解のために『天文星象図解』が書かれたと考えられる」とありますが,すでに述べた理由から同意しかねます.なお,サイズの記載が無いのが残念ですが写真で見る限り,京都大学所蔵版と同一で,本図の解説として「紙三枚を、別々に刷りあげた後に、継いで一枚としている。この図は赤道座標、28宿で、星の位置をあらわしており、星座が赤、黄、黒で色分けされている。中国では石申、甘徳、巫咸三家の星座は色分けされて描かれた。また、渋川春海も『天文成象図』で中国本からの星座、自分の観測した星座と星の色を書き分けたのに倣っているのかもしれない。北極星、北斗七星、昴(すばる)などが赤で示されている」とあり,私見では「天文分野之図」などを基にして制作されているかと考えたのですが,星座の図像が一致しませんでした

左:天文星象図 刊本        右:天文分野之図(部分;北方を左図に合わせて回転) この彩色では赤道黄道の赤と黄が逆になっています.これほど図形やその位置に差があるとは驚きですね.


*海野一隆,東洋地理学研究・日本篇「長久保赤水のシナ図およびその影響」,2005 p.530
元の文献としては茨城県郷土文化研究会「長久保赤水」S45年,p.56とのこと.

文献:
・KAZUHIKO MIYAJIMA,Japanese Celestial Cartography before the Meiji Period, THE HISTORY OF CARTOGRAPHY, VOL.2,Book2, Cartography in the Traditional East and Southeast Asian Societies:Chapt.14, pp.593-4 THE UNIVERSITY OF CHICAGO PRESS,1994
・大阪市立科学館 なにわの科学史のページ 「星座早見盤の世界」4.早見盤余話…江戸時代にも早見盤があった?
・池田雄彦,「江戸時代の科学技術資料(天文編)」p.61 佐渡市教育委員会編集平成20年度佐渡伝統文化研究所年報2号(2009年3月刊)
・千葉市立郷土博物館 天文資料解説集No.3 「東西の天球図」,2002年;p.6-14「東洋の星図」
・同館展覧会図録 「星座の文化史」,1995年5月;pp.55-57「中国の星座の特色」

・「長久保赤水の天文学」2009年4月26日 長久保赤水顕彰会年次総会 川口和彦氏発表もオンラインで拝見しました.渋川春海の「天文成象」について,その異版が赤水の手になるものとお考えのように読めるのですが,該当する図を見ておらず割愛しました.これは「天文星象図」のことでしょうか?


4 コメント

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Unknown (玉青)
2012-01-13 21:07:19
ますますディープになっていきますねえ(呆然)。
この星座図は、toshiさんもリンクされている大阪市立科学館のページや、図録類で目にしたことはありましたが、赤水の書いた本文は読んだことがありませんでした。
そして、大阪市立科学館の記述「この図は一見して星座早見盤そっくりですが〔…〕早見盤としての役には立ちません。〔…〕彼がなぜこの様な物を作ったかは不明です」とあるのを見て、何となくそんなものかなあ…と思っていたのですが、しかし赤水の書いたものを読むと、少なくとも彼の意識の上では、これは早見盤そのものですね。評価の分かれるところでしょうが、たとえ機能的に不十分なところがあるにしても、これは早見盤と言い切ってしまってもいいのではないかと私は感じました。
toshiさんの詳しい続報をお待ちしています。
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僕は (おのちゃん)
2012-01-14 20:43:39
漢文得意だったけど途中であきらめました(^_^;)
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玉青様 (toshi@館長)
2012-01-15 16:52:56
 呆然・・・・とあったので,引かれてしまったかと懸念しています.さらに,少数ではありますがこのブログに来てくださっていた奇特な西洋古典美術愛好家の方には申し訳ない限りです.
 続報に変えて,青字で追加の記載をしておきました.
 玉青様の「早見盤と言い切ってしまってもいいのではないか」というコメントを見て,意を強くしました.

 赤水は,初学者に使いやすい星図を提供したいという意図でこれを作ったことは明らかになりましたが,インスピレーションをどこから得たかについては,どなたか,ご意見をお聞かせいただければありがたいと思います.
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おのちゃん様 (toshi@館長)
2012-01-15 18:19:09
パソコンを使っていると横書きの文しか見なくなりますね.
 四書五経の知識は最低限でも記憶にとどめたいものです.
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