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2000年10月6日「顯進の家庭を中心にひとつになければならない。そうすればすべてが終わるのです」最後の纏めと感想(金容成のブログ~ お母様を心配されたお父様のみ言23)

2018-01-07 12:39:58 | 希望の未来を開くため

金容成のブログ~ お母様を心配されたお父様のみ言23

<顯進の家庭を中心にひとつになければならない。そうすればすべてが終わるのです>

 

そのため、4次アダム圏時代はすべての未婚男女を祝福するのです。教会体制を基本に。黃善祚が今後、全体の責任をもてません。先生の息子娘がいて、ついて越えてくるので、先生の息子娘に従わなければならないでしょう。分かりますか。「はい」ですから霊界に興進君を天使長のように送り、地上では今後、顯進を中心にひとつにならなければならないのです。そのため、皆さんが顯進の家庭を中心にひとつになって父母様に従うのです。そうすればすべてのことが終わるのです。

出典:み言選集335285ページ、2000106

 

私たちが選択しなければならない命の道はただ一つです。統一家の全食口が、誰も例外なく、自分から先ず勇気を出して、死なんとする者は生き生きんとするとする者は死なんという心情で真のお母様と統一教会を去らなければなりません。神様のみ旨のために生涯を捧げ、真のお父様の夢を成就しようとされる顯進様と共に神様のみ旨に取り組まなければなりません。全食口が真のお母様から去り、統一教会を去った時、その時こそ、真のお母様は正しい摂理の道に戻ることができます。なぜなら、天宙史的大患乱の根本的な原因が真のお母様と統一教会の指導者による反逆にあるからです。その原因を解決する唯一の道は、真のお母様と統一教会の指導者たちから去ることです。私たち全員がそうすれば、霊界の真のお父様は涙で真のお母様を喜ばれると心から信じます。(N)


金容成のブログから「お母様を心配されるお父様のみ言」最後の纏めです。み言を時系列に従って抽出して纏めてくださったNさんに感謝します。Nさんの最後のコメントもとても重要です。

さて、HOPEの管理人は管理人としての感想を一言述べさせていただきます。

現家庭連合を擁護されているとみられるブロガーの方から指摘もいただきましたが、今回の「お母様を心配されるお父様のみ言」は、「金容成のブログ」に掲載されたみ言を抽出したものです。み言は引用した前後の事情や背景を持ってみなければ真実を知ることは出来ませんから、み言の一部を切り取っての論評はとかく一方的な解釈に陥り易いのは事実です。しかし、断片的なみ言も一貫してそれらを見てみれば、その真意の一端を知ることは出来ます。今回金容成のブログに引用されたお父様のみ言を見れば、明らかにお父様がお母様を心配されていたことがわかります。少なくとも今の家庭連合指導部が繰り返し主張しているように「お父様とお母様は一体だから、お母様の語られるみ言が御父母様のみ言」と言う主張にはかなりの無理があると言うことです。

特に最近の「独生女」に関するみ言や「原罪」の有無に関するみ言などを見れば明らかにお父様が解かれ語られたみ言の内容とお母様が語られている内容に不一致の内容があることは否定できません。だからと言ってお母様のみ言を全面的に否定意する者でもありません。

今回このみ言を抽出してくれたNさんの最後の纏めは「お母様と教権勢力には従わないで顕進様に従えばいい。そうすることでお母様ご自身も本来の位置に変えることが出来て救われる」というものです。それは、そうだと私は思いますが・・・百歩譲って・・・お母様の現在の主張も一理あると考えて見ましょう!

お父様が創立された統一教会~家庭連合・・・その後継者が誰なのか?誰がその使命を引き継ぐのか・・・?

私はお父様のお母様を心配されるみ言を読みながら・・・お父様とお母様は明らかに一時別の道を行こうとされていたと感じました。最後の「秘密の約束」にもかかわらず、最終的にお母様はお父様の願われた道とは別の道を行かれているように思えました。(そうではないと主張する人もあるようだが・・・)最大限譲って、父親と母親が違った道を歩もうとしたらどうするのか・・・・?子供達はどうすればいいのか・・・?

究極的には私はどちらも道も究極的な目的・・・「神の国」であり、「理想家庭」であり、本来の神様の創造理想の世界に行きつくのであれば、どちらの道を行ってもいいと思うようになりました。究極的な目的地に行きつくのにお母様はお母様なりにこの道がお父様の言われた道とは違っても早く目的に行きつくのならばいいと思います。

お父様、お母様だけではなく、子女様もそれぞれ自分の行く道が一番だと思ってその道を行こうとされていると見れば、それぞれに従う食口がいても究極的に目的地であい見えればいいのではないかとも思います。

究極的に目指すところは一つです。今は分れてバラバラのようでも最後に出会えばハッピーエンドです。但し、その道が迷い道で行きつく目的が別々ならば話は別です。愛する家族が誤って地獄に転落する道に行こうとしているのならば、それを制止するのが家族の役割でもあります。

但しいただけないのは、ほかの道を行こうとする家族を分派呼ばわりしたり裏切り者扱いすることです。


近現代史を見れば、第二次大戦後世界は東西対立の時代を迎えました。ソ連を頂点とする共産主義世界が一世を風靡しました。共産主義者は、理想的世界の実現のためには資本家を打倒すること、唯物弁証法に基づく革命を実行することであると主張して、無神論と唯物論を掲げて民主世界に対抗してきました。しかし、その時代は既に終わってしまいました。ただ最後の最後に残ったのが北朝鮮と中国共産党です。そのいずれもが創建70年を前にして最終的末期症状に揺れています。


家庭連合、統一家の行く道はどうなのか!お母様の行く道に従うものも、そのほかの子女様に従うものも、あるいは真の家庭の誰にも従わないで、我こそはお父様のみ言を守るものだと、あるいはその使命を継承するものだと主張する者もいるようです。

いずれにせよ、統一家は如何にバラバラになろうとも神様を否定するものではなく、宗教を否定するものではないはずです。究極的な理想の中心は神様の理想であるはずです。

そうであるがゆえに、その主張するところや行くべき道の選択はたとえ違っていても同じ兄弟姉妹であり、同じ家族であるという価値は変わらないはずです。

そう考えると現家庭連合の指導部が、特に顕進様を支持するという食口に対してのみならず子女様ご自身まで分派呼ばわりするのは如何かなと思わざるを得ません。

顯進様に従うという理由で除名や分派のレッテルを貼るのは同じ家族としていかに別の道を行こうとしているとしても同じ目的を目指している家族なのだから「それは無いでしょう!」と思わざるを得ません。そのことは顯進様を支持する人たちだけではなく亨進様を支持するというサンクチャリーの人たちに対しても同様でしょう。

たとえ家族であっても物の見方や考え方が違えば別の道を選択することは十分あり得ることです。しかしだからと言って別の道を行こうとする家族に石を投げるようなことをするでしょうか!別々の道を行ってもいずれ出あえばいいのです。ましてや家族でもないものがその家族を蔑視したり否定したりすることは、全く本意に反することだと言わざるを得ません。

意見や考えが違えば大いに論議すればいいのです。意見が合わなくて当面別々の道を行くことがあってもいいのです。それでも家族の絆は、再び出会ってお互いに非があれば詫びて家族の絆を取り戻すものです。それが家族というものです。決して敵対するものではありません。

唯物弁証法では敵対する他者を否定し、抹殺してこそ発展があると、暴力革命を肯定しました。しかし、その歴史は血塗られた粛清や殺戮の歴史となり、どれほど多くの人命が失われたかわかりません。結局宗教を否定し、愛よりも力にによる革命を主張をした結果がそうなったのです。

現家庭連合指導部はその言う一点において反省しなければならないでしょう。真の家庭を分断し、その分断を固定化し真の家庭と全ての祝福家庭の一体化の道を閉ざそうとしているからです。

私は真のお母様はたとえ今はお父様の語られた道とは別の道を行かれているようでも、やはりお父様を愛しておられるし、お父様からも愛されているし、また子女様もご自分のおなかを痛めて産まれた子女様たちです。どんな諍いが親子の間にあったとしてもやはり子女様を愛しているし、子女様たちもお母様を愛しておられるから、必ずや一つの道に行き着かれると思っています。

しかし、家庭連合の現指導部はそういうお母様の深い願いや意図さえも踏みにじり、再びお母様がお父様と一つになる道も子女様と一つになる道も妨げているとしか思えないのです。

敵対して来た者たちとさえも和解と友好を取り戻してきたものが平和の主人です。

私は数回大河ドラマの「女城主直虎」に描かれた徳川家康とその家康の天下和平の道を先立って歩んだ井伊直政についての教訓を記事に書いたが、敵対者を徹底的に抹殺した信長と、戦ったい相手とも和解して自らの配下として行った家康では結果は大きく違っていた。井伊直虎はそういう徳川のやり方に最大限貢献する歩みをしたからこそ、井伊谷の小さな国の領主から彦根35万石の大大名にまでなり、徳川300年を支える名家となったのである。

分裂を助長する者が自らの目先の利益のために為しているとしたらそれは許されないことであろう。そうでないとしても分裂を助長する者はいずれ自ら自滅の道を行く。


今は混乱に翻弄されている食口たちも、いずれ真実を知るようになるでしょう。最後は現実です。皆が求めて来た目的が真実であれば、いずれその目的を実現して行くのにどの道が一番の近道であるかは明白になってきます。具体的にその目的を現実化したものが残って行くのです。

そういう意味でも大いに論議は必要でしょう。この世でも言論の自由は何より大切です。先にあげた共産主義、唯物論に基づく共産党独裁国家では自由な言論はあり得ません。共産党や唯一の独裁者を賛美する者だけが許されるのです。その結果、益々体制は真実から遠ざかって行くのです。

そういう点から見れば現家庭連合指導部は言論封殺的手法を用いていることからして限界が必ず来るのです。勿論現指導部を「ヨイショ」している御用言論も同様だと言わざるを得ません。言論には言論で応えるべきです。最近朝日新聞が自らの報道を批判する評論家と出版社を裁判で訴えるという愚を犯しました。こういう言論機関は最早言論としての使命を放棄したのも同然です。

皆が賢明な道を選んでいかれるよう期待しています。

 

 

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