ボールペンデッサンの描き方とコツ

ボールペンデッサンのテクニックや描き方のコツを学ぶ。そして日々思う事。

小田和正を聞きながら

2013-08-23 | Weblog
自分まだ30代ですが、
小田和正が結構好きです。
今も、彼の曲を聞きながらタイピングしてますが、
どうしてこうも心が落ち着くんでしょうかね。

今、この時期は、私の人生の転換期です。
いろいろなことを大きく変える時期となりました。

そろそろ年齢的にも、
人生の半ばを生きています。
子供達はこれからドンドン大きくなって、
独り立ちしていくでしょう。
そして、私と妻二人が残されて、
そんなとき、私が妻を暖かく抱きしめる男になっていたら、
そんなにカッコいいことはありません。

まあ、今はかなり足蹴にされていますけどね^^;

一番下の子が、長男。
その長男が、私にもの申すとき、
私に尊敬されるような威厳があるように、
今、私は勝負していきます。

娘の成長

2013-08-11 | Weblog
長女6歳。
来年には、小学校へ入学する歳になった。
6歳にもなると、いろいろなことが分かってくるようで、
今年の春亡くなった曾祖父の死について、
悲しくなるようだ。
「自分も死ぬの?」というとても純粋な疑問が、
不安になるのだそう。

そういえば、私も同じくらいの歳頃、
こういった不安で夜寝られない時があった。

娘からのこういった質問は、とても難しいと思う。
正直に説明しても、恐くなるし、
嘘をつき過ぎても良くない気がする。

結局私は、ほとんどそのままに、
最後に、おじいちゃんはお星になってみんなを見守ってくれていると説明した。

でも、娘はやっぱり不安なようだ。
こういった場合、どうすれば正解なのだろうか。
ある程度は、娘本人が自分で考えて消化しなければならないことなのだろうけど、
それにしても、柔らかい言い方はないものかと、
悩んだ。

静寂

2012-08-26 | Weblog
子供が寝静まった今。
昼間とは打って変わって、静寂が流れている。

子供達のエネルギーは、
途方も無く強烈に、まぶしすぎる程に放っている。

時に、私はそのエネルギーの強さに仰け反ってしまう。

子供達は、私が及び腰になっていることに、ため息をつく。


寝静まった今、
冷静に思い返すと、
この子らは、いつまで私にしがみついて来てくれるのか。
この幸せの時間は、いつまで続くのだろうか。

目映いばかりのエネルギーに、
戦いている場合ではない。

麻痺していく

2012-03-25 | Weblog
娘と接していると、
自分がどれだけ感覚を麻痺させながら生きているのかが分かる。

彼女達は、
自分が感じたことを素直に表現出来る。

大人として生きる上で、
それなりの倫理観や社交性を持ち合わせていかなければ
社会人と認知されないことは、
もはや当たり前のこととして流れていく。

その中で、
自分の感情を押し殺し、欲求を抑制しながら、
理性を確立していく。

しかしながら、
幼い娘達を見ていると、
そういった感情のコントロールこそに、
五感を麻痺させる要因があるのだと実感させられる。

社交性を持つことは、
崇高な感性を抹殺し、全てが一様の灰色の人間を作り上げる要因にもなってしまう。

もちろん、
他の人々から離れ、一人で生きていくことは叶わない。
私が思う幸せを放棄し、種の記憶をも否定してしまう。

どれだけ、有益な感性を開放し、社会の中に存在していくか。
そこにこそ、対外的な重みがあるのではないか。

時間の浪費か

2011-08-30 | Weblog
人生、時間の浪費でしかないとか、
ふっと考えてしまう時がある。

この世に死なない人間なんていないし、
各々が限りある時間の中で、
多種多様な人生を歩み、そして死んでいく。

ゴールは、死なのだ。

じゃあ、何を求めようとしているのか。

その答えって、やっぱり子供なのかな。

自分がこの世に生を受けたのも、
自分の前に居た何代も続く先祖がくれたもの。
それを引き継ぐ為なのか。

私は、女にモテたいかと言われれば、
“イエス”という。
これも、子孫を残せという潜在的な記憶と解釈する。

人より優位に立ちたい、もてはやされたいという類いの感情は、
自分の子孫を残す為に、生き残り、相手を見つけるため。
私はその感情に素直に従うべきか。


我が子の、穏やかな寝顔を見ると、
抑えきれない喜びが溢れる。
そしてまた、頑張ろうというエネルギーが湧いてくる。

やはり、私も生を繋げる無数のうちの一齣として
生きる喜びを感じているようだ。