かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠44(アフリカ)

2017年06月23日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 5(2008年2月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P165~
  参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、高村典子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:N・I       司会とまとめ:鹿取 未放

44 アッラーは貧しき歎きを教へざりき名工の手のぼろぼろの老い

      (まとめ)
 「老い」の語を結句で使っているのでここでは「名工」と言っているが、先の歌にも登場した老爺なのだろう。アッラーは貧しい嘆きを教えなかったから、老爺らはささやかな収入に対して不平不満は言わず、感謝の祈りを捧げるだけである。しかし一生手業で暮らしを立ててきたその手はぼろぼろである。それを見る作者には複雑な思いがあるのだろう。
 宗教はえてして現実をありのまま肯定することを教えるが、それでは身分や貧富の差を解消することができない。宗教の教えは結果的には身分制度の上位にある者、政治を執り行う者、地主やお金持ちなどの既得権を守り、彼等に有利に働く。宗教には常にこの矛盾がつきまとうように思うが、それは世俗的に毒された考え方だと言われればそうであろう。しかし宗教にまつわる普遍的な課題ではなかろうか。少し横道に逸れたが、この名工はたぶん宗教の持つそういう仕組みに気づいてはいないのだろう。それに対してやはり作者は深い嘆息を禁じえないのだ。(鹿取)


     (レポート)
 神を信じ、日に何度も祈り服従している。名工であるゆえの証としてのぼろぼろの手の老い、少し哀しみを覚える作者、生ききっているという力強さも感じているのではないでしょうか。(N・I)


    (当日意見)
★日本から見た視線。この人たちは貧しい嘆きを持っていない。(藤本)



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