かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の86

2018年08月07日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


86 自転車にも乗れないんだねおばあちゃん一日はどのくらいながいの

※○(E)おばあちゃんの一日の長さは、人類史の長さも彷彿とさせるようにも思います。
      (K・O)


        (レポート)
 「一日はどれくらいながいの」とは不思議な問いかけだ。どこかはるかに遠いところにいる「おばあちゃん」へ問いかけているとき作者の心は少年に還っているよう。自転車に乗らずにずっと歩くと一日はどんなにか長いだろう、ということか。(真帆)


      (当日意見)
★私はこの歌は文字通りにとって、自転車にも乗れないおばあちゃん、おそらく新聞も読まないし、
 今だったらスマホもしない、一日ぼんやりして過ごしているおばあちゃんにとっては、一日は気
 が遠くなるほど長いのじゃないかと作者が思いやっている。K・Oさんは「人類史の長さも彷 
 彿とさせる」と書いていらっしゃいますが。(鹿取)
★例えば人間の自力でないものが出来た、そういうことに触れているのかも知れないけど、あんま
 りそういう関係づけはしない方がよい気もする。このおばあちゃんは亡くなってしまっているん
 でしょうか?それとも目の前にいて、おばあちゃんと少年が語り合っている場面なんでしょう 
 か?(真帆)
★目の前にいるって設定だと思います。まあ、そういうおばあちゃんを造型しているので、実景と
 は思いませんが。そして話しかけているのは〈われ〉の分身である少年なんでしょうね。話しか
 けてはいるけれど答えを貰おうとしている訳ではない。どんなにか長いことだろうなと思いやっ
 ている。(鹿取)
★米川千嘉子さんに女は大地、という歌がありますね。そして河野裕子さんにも女と土をくっつけ
 た歌があるのです。それで、一時女と土を結びつけた歌を作る傾向があったのかなと思うのです。
 だから、このおばあちゃんも土に関係する畦に座らせたかったのかなあと思ったのです。(慧子)



     (後日意見)
 慧子さんが当日言われた河野裕子さんはいかにも土と結びついていそうだが、米川さんの〈女は大地〉の歌は違う。
〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み 『夏空の櫂』米川千嘉子
 この歌は「女は大地のようなもの」などという矜恃はつまらない。私は私よと言っているのだと思う。だから女と土を結びつけることには米川さんは懐疑的なのだと思う。また、女性が女と土を結びつける歌を作る傾向があったとしても、その影響で作者がこのおばあちゃんを畦に坐らせたとは思わない。畦とおばあちゃんの結びつきはもう少し別の必然があるでしょう。(鹿取)



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