かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の113

2018年09月30日 | 短歌一首鑑賞
  渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
    【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


113 休日はピアスして木の上にいる気体のようなぼくのときめき

     (レポート)
 休日にピアスして木の上にいることは、気体のようなぼくのときめきなんだよ、という。気体のようなぼくとは実体のないと言えば的確かもしれない。そういうぼくがピアスをするときめきとはなんなのかとレポーターは訝しく立ち止まった。ここまできて思うことだが、レポーターは見える存在、見えない存在という対象への分別をしてしまっている。111番歌(ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん試験管立てに試験管がない)の非在者の声には胸を打たれて、存在、非在ということに囚われず鑑賞できたが、113番歌は少し困ってしまった。(慧子)


               (当日意見)
★高校生くらいの男の子、平日はピアスしちゃいけないけど休日なら出来る。それで木の上にいる
 ととってもきもちがいい。歌を台無しにする解釈ですけど。(真帆)
★「気体のような」は「ぼく」に掛かるんですか?「ときめき」に掛かるんですか?(鹿取)
★「ぼく」です。(慧子)
★でも気体のようなぼくだとピアスはしにくそう(笑)ここはサラリーマンになったぼくかと思っ
 たけど、それだとすごい屈折があるのですが。なるほどね、高校生くらいかも。(鹿取)
★ほとんどつかみ所のないぼく、自然と繋がっていないぼく。ある時は休日にピアスをするような
 現代的な生活をしている、明確な私というものは無い人。だから気体のようなぼく。(A・K)
★そう読めば「気体のような」が「ぼく」に掛かっても読める。よい解釈だと思います。(鹿取)
★渡辺さんって人は、世の中を批判的に見ている人ですか?(A・K)
★あまりダイレクトにはうたっていませんけど、そうだと思いますよ。『寒気氾濫』のみなとみら
 いの一連の歌なんか強くそれを感じました。(鹿取)





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