かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠78(スペイン)改訂版

2015年12月22日 | 短歌一首鑑賞
  馬場あき子の外国詠9(2008年6月)
      【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P53
       参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
      まとめ:鹿取未放


78 西班牙より見ればヤジローとザビエルの対座の秋の無月邃(ふか)しも

      (レポート)
 76の歌でも「秋」とうたっている。この時期、日本より少し気温は低いスペイン、マドリッドであろうが、乾燥し、湿度の低いこの地の青空の深さを「秋」とうたわずにはいられなかった作者である。青い空、深い青空は高知の秋の空を思い浮かべるのだが。下の句に作者の深い感慨が込められている歌と思う。
 ザビエルとヤジロー、互いに孤独な二人が対座している。キリスト者としてのザビエルの生き方に強く惹かれ、罪人として逃亡していたヤジローは受洗し、ザビエルを案内して日本に帰るというのである。日本は安土桃山時代、小田信長が天下を取ろうとしていた頃である。(鹿児島藩、琉球、奄美、黒糖専売、密貿易、江戸時代を通じてほとんど一揆がなかった。)結句の「無月」とは?白い月が浮かんでいる天空の様子だろうか。(藤本)


     (発言)
★ふたりが対座した8月15日をうたっているので、作者が旅行した6月の季節を「秋」ととらえ
 ているわけではないと思います。「無月」は、「空が曇って月が見えないこと」と漢和辞典に出
 ています。(鹿取)
★ヤジローとザビエルの対峙を扱ったすごさ。(T・H)


      (後日意見)(2015年12月)
 東洋の一犯罪者であるヤジローとキリスト教国の最高の知性であり情熱を秘めた神父との魂と魂のぶつかり合いを扱って緊張感があり、かつ奥深い味わいがある。「ザビエルとヤジロー」ではなく、「ヤジローとザビエル」である点は、ヤジローへの心寄せの深さであろうか。それはともかく、」ザビエルがヤジローを伴って薩摩に上陸したのは八月十五日、中秋の名月その日であった。無月とは中秋の名月に月が見えないことをいうが、無月の深いふかい闇の中で二人はいのちがけの鋭い議論を交わしたであろうか。ヤジローがポルトガル語を学んだのは二年弱、日常会話には不自由しなくても微妙な教義内容に立ち入ってザビエルと互角に議論できるほどの語学力は持ち合わせていなかっただろう。また、スペイン生まれのザビエルもポルトガル語がそれほど達者ではなかったらしいから、ここでの対座は孤独な魂同士の触れあいを感受すればいいのだろう。もちろん無月も対座も馬場が創造したドラマである。無月という設定によって個としてのザビエルとヤジローがより屹立し、かつふたりの関係の濃さが浮き彫りにされている。(鹿取)


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