かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 140

2014年11月20日 | 短歌一首鑑賞

【音符】『寒気氾濫』(1997年)74頁
                    参加者:石井彩子、渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
                     レポーター:渡部 慧子
                    司会と記録:鹿取 未放


173 鉄亜鈴あたまのなかの鉄亜鈴まったきままに旻天に浮く

          (レポート)(2014年11月)
 地球の生成物質、それからなる重量、赤道方向にふくらみ、極方向に縮んだややへんぺいな球形が宇宙に浮かんでいる状態から、人間の頭へ思いが至ったのだろう。3句まで石頭のようなものが完全性を保って旻天に浮かんでいるという。旻天を宇宙と思えば、鉄亜鈴どころではない重量の地球が浮かんでいるのだから、「鉄亜鈴あたまのなかの鉄亜鈴」これが浮くと詠う。石頭状態を軽く嘆いてみせて、またそれをユーモアでくるんでいるようだ。(慧子)


    (意見)(2014年11月)
★鉄亜鈴は、左右均等で中央部を持って肉体の各所をバランスよく鍛えるものだ。それと同じものが頭
 の中央部にもあって脳力や精神の働きなどの、バランスを保っている、との見立てである。その鉄亜
 鈴が、まったきままに旻天(秋の空、大空)に浮く、と詠むが、心に重くのしかかることもなく、秋
 の空に揺らぎのない澄み切った心の状態を保っていることを表現したものだろうか。
   (鈴木)(紙上 参加)
★私は全然違う解釈をしていたんですが。若いとき岩とか石が画面にあるだけで背景は青い色の絵
 を見たことがあって感動したんです。(石井)
★画面に一つ大きな岩の塊だけがある絵って、エルンストだったかな、見た記憶があります。(鹿取)
★私が見たのは、あまり有名でない、日本人の絵でした。この歌を読んで、忘れていたその絵のことを
 思い出しました。その頃実存主義に惹かれていて、サルトルの「嘔吐」なんかを読んでいた。あれは
 マロニエの根っこにどうしても近づけない。いくら言葉で言っても物そのものには近づけないんです
 ね。一体感が持てないで嘔吐感が出てくるんですね。そして有名なテーゼ「実存は本質に先立つ」と
 いうのが出てくる。そこに感銘を受けたんですけど、そういう立場からこの歌を解釈したんですね。
 ここにある鉄亜鈴というのは人間にとっては道具なんです。人間の筋力を強く する道具です。強く
 なることが権力の誇示に繋がる。それが鉄亜鈴の本質になるんですね。とこ ろが渡辺さんのように
 木などに自由に入っていける人は、鉄亜鈴というのは物質に過ぎないんで すね。つまりそれが実存、
 言葉以前の単なる物質にしかすぎないんですね。おそらく木や動物か ら見たら鉄亜鈴は単なる物質
 でしかない。(石井)
★岩の絵を見て、解釈するのではなく共存することが大切だと、圧倒されたんです。渡辺さんのこの
 歌は頭の中自体が旻天だということです。(石井)
★石井さんが詳しく説明してくれたんでよく分かったのですけど、要するにこの歌は実存を体現してい
 る歌、ということですね。鉄亜鈴を人間に役に立つ対象として捉えるのではなく、実存としてありの
 ままに肯定する、有るものを端的に有ると表現している、ということですね。(鹿取)
★はい、頭の中に鉄亜鈴を浮かべるということは、鉄亜鈴を実存として認めているということです。西
 洋のように対象化したらダメということです。言葉でいくら説明しても限界があるんです。サルトル
 はその限界を知らなかったんです。(石井)
★渡辺さんの歌って、哲学がほんとうに入っていますよね。本質的なことを書いていらっしゃる。詩と
 似ているという気がする。この歌を読んで、『嘔吐』とか『存在と無』とかを読み返しましたが、そ
 ういう機会を与えてくれる歌ですね。宇宙のことも触れられているし、人間にすごく関心がある方な
 んだなあと。いろんなジャンルの人が読めますよね。すごい人だと思います。解釈することより一体
 化することが大切という歌の精神が現れていると思います。(石井)