かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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【お詫び】「かりん全国大会馬場あき子講演」について

2014年08月15日 | 短歌の鑑賞

 「かりん全国大会馬場あき子講演(抜粋①)」は、著作権に問題があると判断して、自分で削除しました。アクセスしてくださった方にお詫び 申し上げます。削除した「いろいろな世代の歌とこころ」の講演冒頭部分を私流に要約したものを以下に載せます。
 
○90代から20代まで幅広い作者層がいるが、若い人は高齢の人の作品を読まないし、
 高齢の人は若い人が何を言っているのかわからないと思っている。しかし両方がお互い
 の歌のよさと駄目なところとを理解していかないといけないんじゃないかという危機感
 を感じている。

○作歌年齢の幅の広さは凄いことだと思う。それは様式の強さを意味し、その様式は研究
 に値する。

○洋食店NODAでハヤシライスを注文す九十五歳のわが定位置に   宮  英子

 若い人はこういう歌をつまらない歌だと思うんじゃないか。しかし古い洋食店の名前とか、それが現役で今も続いていたらかえって魅力的にみえる場合がある。今の人は「わが」なんっていらないんじゃないと言うけれど、そうでもない。「わが」という強調の中に、私は洋食店、私はNODAがひいきなんだ、私はハヤシライスが定番なんだ、そこのところで私の人生ってだいたい分かるでしょう、こういうおばあさんなのよって言ってる。素朴な日本のおばあさんではなく、近代の大正デモクラシーと大正ロマンの波を被ったおばあさんの姿というのが出てくる。

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渡辺松男の一首鑑賞 117

2014年08月15日 | 短歌一首鑑賞

【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)66頁
                     参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                      レポーター:渡部 慧子
                     司会と記録:鹿取 未放


150 沈黙のおんなに凭りかかられてみるみる石化してゆく樹幹


      (レポート)(2014年8月)
 そこにいる「おんな」は「沈黙」のまま樹に凭りかかっている。沈黙がかろやかなたたずまいを見せる人もあろうが、そうでない場合もあり、精神のいきいきしていない人に凭りかかられると樹といえどもたいへんな圧迫かも知れない。沈黙の圧迫による樹幹の困惑や疲労を「みるみる石化してゆく」として、うつろう時をかたちにし、読者に示す。(慧子)

   
     (紙上意見)(2014年月)
 斎場の樹木に凭れて、故人を偲んでいる沈黙の女。凭れかかられている樹幹は、その嘆きの重さにたちまち石化していく。本邦雄の歌をベースに面白く表現している。(鈴木)


     (発言)(2014年月)   
★本邦雄の『水葬物語』に「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」が
 あります。ただのパロディではなく、対比して作っている。沈黙の女には何か重いものがあって
 それに凭りかかられるので何か固まってしまう歌だと思う。ただ、肝心なところを味わえていな
 いのですが。樹幹というのは、木の中の役割をきちんと言いたかったのではないか、根に続く樹
 幹であるよということ。語らぬものの沈黙の訴えによって動けなくなってしまったものをいいた
 かったのではにか。(真帆)
★『水葬物語』の巻頭歌だから誰でも知っていますよね。本にとっても非常に思い入れのある
 歌で、元の歌の辛辣な批評意識とか苦さとかは周知のことだと思います。その本歌取りをするの
 だから、渡辺さんにも覚悟とか思い入れがあるはずなんですけれど、私の頭が硬いせいか、もう
 一つこの歌がよく分からないです。真帆さんが言った「語らぬものの沈黙の訴えによって動けな
 くなってしまったもの」というのはそうなんだろうと思うし、鈴木さんの「斎場の樹木に凭れて、
 故人を偲んでいる沈黙の女」という解釈も、唐突に出てきた女は、なるほど一連の流れの中では
 故人と深いかかわりのあった女か、とも思うんだけど、まだ何かもやもやしたものがあって、自
 分ではそれがつかめないです。(鹿取)
★国のことだったりしますか?「沈黙のおんな」でどこかの国を例えたり。(真帆)
★それは違うような気がする。この一連にいきなり国への風刺とかは出てこないんじゃないかなあ。
   (鹿取)
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