かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 21(韓国)

2013年09月07日 | 短歌1首鑑賞
 【白馬江】『南島』(1991年刊)P75

日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
            へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


256 秋霞濃ゆき彼方に白馬江流るると言へば心は緊まる

 
(レポート)2010年12月
 とにかく秋霞が濃ゆくて白馬江はみえないのであろう。一首は実景に迫っているというより、たとえば松を配するのみの能舞台を思ってみたい。掲出歌は舞いながら謡う一人(作者)が思われる。流るると思うでも、流るるを聞くでもなく「流るると言へば」としているところなど、まさしく作者はシテなのだ。「秋霞濃ゆき彼方に」と幽玄を示し、四句「流るると言へば」と自己を顕たしめている。何も見えないところに自分の声が響き、それを聴いている。無辺なうちに「心は緊まる」と焦点を絞り込んだ結句だ。(渡部慧子)


      (記録)2010年12月
 ★ガイドなどが「見えないけど向こうに白馬江が流れていますよ」とあっさり告げた。そのあっ
  さりさと、自分の思い入れとのギャップを詠っている。まあ、レポーターのいうように自問自
  答でもよいが、いずれにしろ自分の中の白馬江とのギャップが主題。(佐々木実之)
 ★私はガイド説をとるけど。少なくとも声に出して〈われ〉が言ったのではない。この作者は「誰
  か言ふ」とかのフレーズが出てくる作り方をよくしていて、そういう場合はいずれも天の声の
  ように必要な言葉がいずこからともなくひびいている感じ。
   この歌を読んで前川佐美雄の「春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ」
  (『大和』)が脳裡をよぎったが、それも少し計算されているのかもしれない。(鹿取未放)


(まとめ)2013年9月
 いよいよ白馬江にまみえるのかと、名を聞いただけで緊張している場面。
 この一連全体に関係するので作者自身の『南島』あとがきの関連部分を引用する。(鹿取)

   また「白馬江」は同年の秋十一月、朝日新聞歌壇が催した歌の旅であるが、詞書にも
   書いたような事情で、私は白馬江に特別な感慨をもっていた。美しく、明るい豊かな
   流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの
   淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみ
   を感じていた。(鹿取注:「同年」とあるのは沖縄の旅をした1987年のこと)