かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  342

2021-10-26 19:05:44 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


342 二度となき時間の見ゆる霜の朝セスナ機銀に光りつつ飛ぶ

       (レポート)
 空漠たる空に一瞬見つけたセスナ機を二度となき時間としてとらえ、光りつつ飛ぶと言う。セスナと刹那の音の似ていることから得た想いかもしれない。いずれにせよ霧の朝だった。天にも地にもひかりながら消えてゆくものを見た。(慧子)


     (当日意見)
★後戻りせず一方向に飛ぶセスナ機を、時間の流れだと感じた。(真帆)
★「一瞬見つけたセスナ機を二度となき時間としてとらえ」というところは、それほど限定しなく
 てもいいのかなと思います。またセスナと刹那の対応関係より、霜の解ける儚さと、あっという
 間に見えなくなるセスナのスピード感とに対応関係があると思っていました。霜とセスナは銀色
 という色彩感でも共通しています。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞  341

2021-10-25 17:05:33 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


341 星は冬孤独の位置にそれぞれが張りつめていることの清潔 
 
       (レポート)
 星はそれぞれの位置にあって互いの隔たりを決して崩さない。その位置関係を星座と呼んでいる。とにかく、動かない、動けない、狎れない、馴れない、その様を清さ潔さとみる。冬は空気も澄んでその状態がきわだつ。(慧子)


    (当日意見)
★「星は冬」と初句切れ、清少納言の「春は曙」のような美意識。(真帆)
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渡辺松男の一首鑑賞  340

2021-10-24 18:57:42 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


340 湯気あげて日に乾きゆく杉の幹百本千本なべて直立

         (レポート)
 杉を植樹した山の斜面をみることがある。霧が晴れようとしていたのか、いかにも高温多湿の日本の風土が思われる。(慧子)


       (当日意見)
★晩秋とか冬の光景でしょうか。日が射してきて木の幹が湯気をあげながら乾いていく。植林され
 た山で木が百本も千本も湯気をあげながら整然と並んでいるのでしょう。その直立の姿が清冽で
 すね。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  339

2021-10-23 19:50:00 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


339 断言をなしえし後のごとく見え冬陽に浄し欅の幹は

      (レポート)
 葉のちりつくした冬木を言っていよう。枝も含めて冬の樹形をたたえる例は多くみうけられるが、掲出歌は「幹」であることに注目したい。「断言をなしえし後」とあることを考えると、人間だったら胸中、いや精神を思えばよいだろう。その幹が太く真っ直ぐなのだ。そして浄い。(慧子)


      (当日意見)
★人の手で枝を払われた樹形。(M・S)
★自分を貫いて断言をした、その潔さを欅の幹にみている。葉を落とし言えただけでなく、枝も切
 り払われていたのかもしれないが、っすぐに立つ幹を称える。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞  338

2021-10-22 17:10:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究41(2016年8月実施)『寒気氾濫』(1997年)
     【明快なる樹々】P139
      参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部 慧子    司会と記録:鹿取 未放


338 槻に葉の一切は散り一切の枝がいよいよ冬空にある

        (レポート)
 ある一切が消え、他の一切がはっきりみえる。一切を二度使っていながら煩わしさがなく、それどころか、ものごとを一切と断言する力が感じられる。日頃よく使う一切は宗教に由来する言葉。言葉の背後の故かまた使い手によるのか、一首がいよいよ精神性を帯びてたちあがる。(慧子)


         

         (当日意見)
★槻の木は一般には欅って呼ばれていますって、レポートに一言書いてくれるとよかったかな。そ
 れと、「一切は宗教に由来する言葉」ってありますけど、もう少し詳しく教えてくれますか。
   (鹿取)
★仏教に一切経ってあります。「国語大辞典」(小学館)に一切教について短く触れてありました。
   (慧子)


        (後日意見)
「槻」は欅の古名。「一切経」とはお経を一同に集めた膨大なものだそうだが、この歌はそれほど宗教と結びつけなくともいいだろう。「一切」は「一切知らない」などのように打ち消しを伴って使うことが多いようだが、一つ目の「一切」は「散り」で受けているので普通の使い方だ。2つ目の「一切」は「ある」と肯定に繋がるので少し不思議な感覚にさせられる。「全然」を肯定で受ける語法が芥川龍之介の小説にも出てくるので目くじらを立てる訳ではないが、2つ目の「一切」はわざと捩って使っているのだろう。また「槻に」「空に」と敢えて「に」を重ねてもいる。「槻に」の「に」は所有格と思われるが、これも不思議な用法でたくらみがみえる。
 槻木をうたった『蝶』(2011年刊)の歌をあげる。この歌よりさらに突き詰められているようだ。【きよくたんな寒さに厳と立つ槻のまはだかはえいゑんのいりくち】
  (鹿取)
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