かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  72

2020-10-21 17:47:02 | 短歌の鑑賞
   ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 10 スペイン・ポルトガル
                            鎌倉なぎさの会   

72 赤ワインすこし渋きを飲みほしてダッタン海峡ひだりに折れる
     「かりん」95年9月号

 九五年五月末から一〇日間にわたる馬場あき子一行との「スペイン・ポルトガル周遊吟行の旅」の歌。ダッタン(韃靼)海峡は、ロシアサハリン(樺太)とシベリア東岸との間にある海峡で最狭部の幅は7.4キロメートル。冬期凍結。間宮海峡、タタール海峡ともいう等と辞書に出ている。機内で出されたワインを飲みながら、日本から離れてゆく寂しさとこれから踏む地への期待、そのないまぜになった気分が「すこし渋」い赤ワインというところに出ている。マドリードへはモスクワ経由で行くので、ダッタン海峡を左へ折れて飛ぶのである。安西冬衛の「春」と題する有名な詩がある。
 「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
 という短いものだが、作歌する時作者の脳裡にあったかどうか。病気で右足を失っていた安西が戦艦上で作ったという説もある。しかし、詩からははるかなものに対するあこがれや希求の念が感じられる。ダッタン海峡一連の他の歌をあげる。「フンサイの搭」の歌に作者らしさはいちばん表れているのかもしれない。
   滑走する機窓に見えてうらがなし成田空港フンサイの塔(95/9)
   空にしてひと恋しきに眼の下の雲の切れめに佐渡あおく見ゆ(95/9)

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清見糺の一首鑑賞  63

2020-10-20 19:15:45 | 短歌の鑑賞
ブログ版 清見糺鑑賞  9    かりん鎌倉なぎさの会

63 行く秋の午後の散歩は折り返すしょうりょうばったの飛びたつところ
     「かりん」96年2月号
  
 「しょうりょうばった」の語のもつ宗教的な雰囲気が一首を味わい深いものにしている。精霊は死者の霊魂のこと。晩秋のころ、近所の野山を散歩していると精霊飛蝗が飛び立った。それをしおに作者はもと来た道を戻っていくのだが、精霊飛蝗というのはオスがメスの半分くらいの長さしかなく、キチキチと音をさせて飛び立つのはオスの方らしい。そんなことを知るとなかなか意味深長な歌でもある。「行く秋」の季語とあいまって人生の寂寥が感じとれる。


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清見糺の一首鑑賞  62

2020-10-19 20:42:02 | 短歌の鑑賞
ブログ版 清見糺鑑賞  9    かりん鎌倉なぎさの会

62 忘れいし夢のごとくにあらわれて詩人カストロいまだ偉丈夫(96/1)
                  「かりん」96年1月号

★カストロは当然キューバの革命家カストロだろう。つまり革命家はすべからく詩人な
 のである。初句「忘れいし夢」は、作者の中での幻想だろう。清見氏にもかつては共
 産主義は人を幸せにするという幻想があったのだろう。しかし、考えてみると共産主
 義が悪いのではなく、ロシアなどでも運営する人々が腐ったのだ。(田村)
★はい、フィデル・カストロですね。「1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国 
 の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キ
 ューバを社会主義国家に変えた。革命によって同国の最高指導者となり、首相
 に就任。」とウィキペディアに出ています。弁護士、社会主義者って出ていま
 すね。過去の英雄のように思っていたが、ある日、テレビにでも映ったのでし
ょうかね。この歌が詠まれたのは96年で、カストロの生年は1926年とあ
 るから当時70歳くらいですね(ちなみに作者の清見は当時60歳)、まだま
 だ偉丈夫だというのだから、リスペクトの 気持ちがあるのでしょうね。
    (鹿取)
       ※カストロは、2011年11月没。

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清見糺の一首鑑賞  61

2020-10-18 17:56:59 | 短歌の鑑賞
ブログ版 清見糺鑑賞  9    かりん鎌倉なぎさの会
]
61 機内食メインディッシュは七面鳥のカツなり平らげて下はシベリア
       「かりん」96年1月号
  
 「うしの会」19号では結句が「ツンドラ」になっている。人が住まない住めない凍土である。しかしかりん発表時「シベリア」に推敲された。そこから考えてもやはり60番歌「シベリアに春来たるらしオビ河をおおう氷にひびはしる見ゆ」もこの歌もシベリア抑留を意識しているようだ。
 きっと七面鳥のカツはおいしかったにちがいない、そして夢中でたいらげた。しかし飛行機の下は大勢の日本兵が飢えて死んだシベリアだ。後ろめたい思いに胸をつかれたに違いない。


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清見糺の一首鑑賞 60

2020-10-17 18:37:42 | 短歌の鑑賞
ブログ版 清見糺鑑賞  9    かりん鎌倉なぎさの会

60 シベリアに春来たるらしオビ河をおおう氷にひびはしる見ゆ
    「かりん」96年1月号

 「覚めてニッポン」の表題の六首中の一首。スペイン、ポルトガルの旅の帰り、飛行機でロシア上空を飛んでいる。この旅行の日程は五月三十一日より六月十日まで。六月初旬シベリアにも遅い春がやってきて、冬の間いちめんに河を覆っていた氷に罅が入り溶けてゆく様相を見せている。歌っていることはそれだけで、作者が何を思い浮かべていたのかは想像するしかないが、おそらく日本兵のシベリア抑留についてであろう。餓えと寒さに苦しめられながら強制労働をさせられ、多くの日本兵が死んでいった不幸な歴史。酷寒の中で死んでいったひとりひとりの兵の叫びを作者は聞いていたのではないだろうか。そしてこの個人としてのひとりひとりということが大切である。
 むろん作者はここで人間の愚かさについて考えたとしても、ロシアという国に敵意をいだいているわけではない。そのことは一連の歌を見れば分かる。
   ボスニアはチェチェンは何処どこまでもどこまでも光沁む雲
   貧しそうなロシアの小さな村見えてわたくし個人のエールをおくる






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