かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 102

2020-10-01 18:16:00 | 短歌の鑑賞
    渡辺松男研究12【愁嘆声】(14年2月)まとめ
       『寒気氾濫』(1997年)44頁~
       参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
        レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取 未放
       

102  神学に痩せゆきしひと羨しけれわれらしきりに葱抜きている

(意見)
 理性的思惟によって真理を把握する形而上的な神学に携わり、さまざまに煩悶して痩せてゆく人がいる。しかし、自然一般・感性的現象として形をなす現実の生活の中で、しきりに葱を抜いて悪戦苦闘している生活者からみれば、それは羨ましいことである。形而上的に生きたいと思っていればこそ、余計その思いが強くなるのだ。(鈴木)

(記録)
★「神学に痩せゆきしひと」を鈴木さんは一般的に捉えていますね。作者は具体的に誰かを指し
 ていないのですが、たとえばニーチェは神学からはずいぶんはみ出して自分の思想を打ち立て
 た人ですから、ちょっとそぐわないかなと思います。次の歌に「無といわず無無ともいわず黒
 き樹よ樹内にゾシマ長老ぞ病む」が出てくる関連から言えば、私は『カラマーゾフの兄弟』の
 アリョーシャなんかを思い浮かべます。「ひと」というにはアリョーシャは幼い気もしますが、
 ゾシマ長老に心酔して純粋に神学を求め、学んでいる少年です。修道院に入って現実の社会は
 知らない少年なので、無神論者の兄さんが連れ出して論争をしかけたり、現実の社会はこんな
 に醜くくて複雑怪奇なんだと見せようとしたりするんですけど。「痩せゆきし」と過去形を使
 っているので、小説中の人物という私の解釈はちょっと苦しいところもあるんだけど、誰か例
 にあげるとすればアリョーシャあたりかなという意味です。まあそういう人物が羨ましい、と
 いう部分は私は言葉どおりと捉えました。だから上の句の具体か抽象かという違いを除けば、
 解釈は鈴木さんと同じです。(鹿取)
★では、労働は尊くないの?(慧子)
★歌は倫理や道徳ではないので、ここは尊いとか尊とくないとかいう問題ではないですね。もし
 労働が尊いということを言いたいのなら、「羨しけれ」あたりが揺らいでくる。もちろん、労
 働を蔑している訳でもない。ただ葱を抜くような日常というものがある生活者としては(公務
 員としての生活者でも同じ事ですけれど)、「神学に痩せゆきしひとを羨ましいと思う、という
 ことではないですか。(鹿取)
★でも、自分たちを決して否定はしていないと思うなあ。実は神学に否定的で、ほんとうに羨ま
 しいとは思ってないんじゃないかな。この歌ではわれらの側に価値を置いていると思いま 
す。(慧子)
★いや、労働を否定しているんじゃないけど、形而上的な何かを求める心が強い作者だから、葱
 を抜きながら、やはり純粋に形而上的なものを求める立場に立てる人を羨ましく思うんだろう
 と私は思います。ただ、「われら」というところは複数になっているので、労働者の側に心寄
 せがあるのでしょうね。肯定とか否定とかゼロか100かではないと思います。まあ、それと
 は別に葱をひたすら抜いている情景が見えてきて、それは案外豊かな印象を受けます。(鹿取)




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