かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 97

2020-09-16 19:01:27 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
        参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
       

97 「みなとみらい」のこんな街路灯の一本がかのダム底の家より明し



(レポート)
 都市部と山間部の電灯の明るさのちがいから、それぞれに住む人たちの暮らしの格差を詠んでいる。「みなとみらい」の明るさは白色光であるのに対し、「ダム底の家」は白熱電球でやや黄ばんで見える。また、通りすがりの街路灯の一本と暮らしの拠点である家の明るさを比較することで、一層その格差が際立ってくるのだ。(鈴木)


(発言)
 ★「かのダム底の家」というのは、かつてあつたが今はダム底に沈んでしまっている家
  ということでしょうか?今でもダムの底に家自体はあるかもしれないけど、灯りをと
  もしていることはないわよね。ダムの底に沈む以前の暮らしの中で、あの家にともっ
  ていた灯りはここの街路灯の一本よりも暗かったなあ、というのでしょう。こういう
  方向に考えが及ぶのが渡辺さんらしいですよね。(鹿取)
 ★過去と比較しているというよりも、現に見えるものとして考えている。過去と比較し
  たのではあの時代ならしょうがないと弱まっちゃうから。そうじゃなく詠んでいるの
  が面白い。みなとみらいは白色光でいいのかなあ、よく分からないけど。(鈴木)
 ★昔の明りだから暗かったというのではなくて、今はダム底に沈んだ家を作者はありあ
  りと現前に感じていて、それを街路灯と比較している。みなとみらいの街路灯が白色
  光か何かは知らないけど、無駄に明るいというか、無機質な感じを言いたいのでしょ
  うね。ダム底になった家には貧しいけど人間らしい、人が寄り添っていた灯りがあっ
  たわけです。(鹿取)

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