かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 9

2023-03-13 12:21:34 | 短歌の鑑賞
※ 渡辺松男さんが、歌集「牧野植物園」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。
  おめでとうございます。 
以下のサイトに受賞理由が掲載されていますので、興味のある方はぜひご覧になってください。
    https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/93842101_02.pdf

最近、このブログでは馬場あき子の外国詠を続けていましたが、
渡辺松男の『寒気氾濫』の鑑賞を交互に入れてゆくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。 

    2023年度版 渡辺松男研究2(13年2月実施)
      【地下に還せり】『寒気氾濫』(1997年)9頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
       後日意見:石井彩子
       レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放

 
9 十月のまぶしきなかへひとすじのああ気持ちよき犀の放尿

      (レポート抄)
 たぶん作者が自らの山歩きなどで体験した感覚を詠んだものだろう。野外でひとり、十月のまぶしき光に向かって誰にも気兼ねなく放尿する快感。体の大きな「犀」の放尿とすることで、その爽快感が高まるばかりでなく、孤独の象徴としての「犀」の独り生くよろこびを、作者自身の実感に重ね合わせて詠んでいる。ちなみにニーチェは脱ヨーロッパの視点から、竜や象など東洋的な動物を比喩として用いているが、孤独の象徴としての犀もそのひとつ。(鈴木)


     (当日意見)
★ニーチェも東洋的なものに関心を持ち、仏教もかじっているようだ。
   (鈴木)
★渡辺さんが自分の評論(※)の中で、鯨のような大きなものが悩んで
 いたり孤独だったりするところが絵になるので、ダニが耐えていたら
 人は笑うだろう、というような意味のことを言っていて、大笑いした
 ことがある。だからここも大きな犀が登場するのだろう。前歌(そう
 だそのよう に怒りて上げてみよ見てみたかった象の足裏)も大きな象
 だし。(鹿取)
★私は渡辺さんのように実感的になかなかうたえない。(鈴木)
★自然ですよね。哲学やってるけど、何か頭でこねくりまわしているの
 とは全く違って。(鹿取)
★渡辺さんの感覚が哲学的なんでしょうね。(鈴木)
★自分の持っているアクが全くない。(崎尾)

 ※正確には「鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在
  に耐えながら泳ぐからその淋しさもいいのであって、――中略――
  もっと小さければどうだろう。そもそも感情移入などしきれない。
  ダニが耐えていたら人は笑うだろう。」
      (「かりん」1997年2月号「日常宇宙」)
  上記は丁田隆「ざっぷりとプランクトンを食みながら淋しさを言う
  ことばを持たず」についてのコメント。渡辺さん自身「大洋にはて
  なきこともアンニュイで抹香鯨射精せよ」(『寒気氾濫』)と鯨を
  歌っている。(鹿取)

コメント
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